第25章 ナースあるある?
この病気になって病院に入院することで、介護や看護(かんご)をする人について私なりに色々感じることが多かったです。
ホントにいろんな方がいました。
ほぼ共通(きょうつう)していえることですが、
皆さん、アイサツをし質問すればそれに答えてくれる
人によっては、目線を合わせるように配慮(はいりょ)してかがんで話しを聞いてくれたり、
時には元気なエネルギーをくれたり、
今日の担当はどの人かな?と、それによっては1日の気分も変わってくるものです。
「これはホンとに気をつけなきゃならないな」と、私も思いましたが
とあるナースは、ドアはノックせず部屋に入ってきて、
マイペースにカーテンを開け閉めし、
アイサツもそこそこに、
私の病室にあるテレビをみつめて「今日これやるんだ…」とつぶやく、
そして、必要事項(ひつようじこう)がおわればソソクサと部屋をでていきます。
ここでいう必要事項とは、朝は体温をはかることや点滴のチェックをしたりなどの体調のチェックです。
ほとんど、必要以上はしゃべらずのことが多く見られますが、ナースステーションでは、肘をついてあくびを連発、
入院しているとそういったところによく目がとまるもので、そのナースのしまりのない表情をよく見ました。
こうやって、見られているのですが気づかないものですね。
また、同じナースですが、こういったこともありました。
ちょうど私の部屋に面会に来た知人がいたことがありましたが、アイサツするかと思いきや、
いつもと同じように、ノックなしで入室の上で何やらボソボソと話しているのですが、何を言っているのか?まったくわからずつぶやきにしか聞こえませんでした。
そのぶつぶついい終わるころ、今日の予定をボソッと言って、スーッと部屋を出ていくといったことがありました。
なんだかなぁ…アイサツもなし? 今どきちゃん?なんちゃってナースだなぁと、
いまどきの子はあんな感じなのかな?とオバサン心に思ってみたのですが、
そういう目線で観察(かんさつ)してみると以外に面白かったです。
正直、このなんちゃってナースには あまり担当してほしくないなと思いました。
入院中にこういった方に、たびたびお会いしました。
この後も出てこられますので、みなさん想像しながらよみすすめてみてください。
私は、1日担当ナースさんには、よくうかがっていたことがあります。
なぜ、この仕事についたのか?と
みなさん、目をキラキラさせながらナースを職業としてえらんだことについてを話してくれました。
まぶしかったな~
若いっていいな~
そう思うと、自分が白血病でそろそろこの世界からもうさよならしようとしていることを思うとなんだかむなしくなりました。
私にも夢にむかってキラキラしていたあのころがあったのだと、ひどくなつかしく感じました。
もう一度介護の仕事に戻れるだろうか?
明日は、白衣の天使にあたりますように・・・
第26章 とまらない食欲(しょくよく)
入院から、少しづつ体重がへってきていました。
たくさんダイエットをくりかえしてきた私にとっては、なんとなくうれしくもあり・・・複雑な気分でした。
ただ、主治医からはプレドニゾロン(ステロイド剤)の副作用でこれから体重は増加すること、
血糖値が上がることから、あまり間食はしないようにと言われました。
病院の食事は1日1800キロカロリー前後でしたが3食きっちり食べても、夕食の18時から朝までは空腹(くうふく)時間があるのでおなかがすいてました。
でも、体重はふやしたくはありませんでした。
がまんがまん、そう思ってました。
朝は、ごはんかパンかえらべたのでパンをえらびましたが、甘いものが苦手になった私でしたが、
なんとパンにはこんもりとイチゴジャムをのっけて食べてました。
私は、プロフィールでもお話させていただきましたが、以前に洋菓子の専門学校の夜学に通っていたことがありました。
その学生さんは社会人が多く、授業は夕方からなのでときどき、朝からまちあわせをしおいしいお店をハシゴして
その足で夕方から授業にでていましたが好きって大変だなと思ってました。
みなさん、朝食も昼食も夕食もすべてケーキという状態でした。
さずがに、1日中ケーキで夜間に授業の前に先生のお手本ケーキを食べ
そのあと、自分たちのケーキを作って試食してと
それが、続くと私にとってはどれもみんな、小麦粉・バター・砂糖の同じ味にしか感じなくなってしまい
においをかいだだけで、頭が痛くなるといった状況になってしまってからはスイーツと呼ばれるものは食べられなくなりました。
それなのに、甘いイチゴジャムこんもりですから、プレドニゾロンおそるべきイリョクはすごいものだと感じます。
ほぼ、3~4日で通常売っている小さいサイズなら1ビンはあけてしまっていました。
それが、やがてどんどんひどくなっていきます。
また、昼食は麺類(めんるい)がでていましたが、夕食はほとんどがごはんで、
ごはんのおともに、味付けのりをごはんにまいて食べてました。
これもなくなるのがかなり早くて、通常スーパーで売っているものではたりずに、ネットの通販サイトでかなり大量にかってました。
なかなか、このあまじょっぱさに手がとまらなくなってました。
ただこのことは、血糖値を上昇させていくことになるので、あとあとおこられますが、入院生活中はやめることができませんでした。
このあと他にも、とまらなくなったものがあります。
第27章 やっぱり私は病人なんだと思った
10月30日の朝、いつものように本日の担当ナースがきてアイサツや健康チェックをするやいなや、つぎは主治医が顔をのぞかせて、
しばらくして、今日は看護師長代理(かんごしちょうだいり)とナースが私の部屋にやってきました。
おねがいごとがあるという
何だろう?ちょっと不安に感じました。
話の内容はこうでした
重特者(じゅうとくしゃ)が入院することになって、ナースステーションの近い個室を使用したいので、部屋をうつってほしいとの話がありました。
やっとこの部屋というより、この生活になれたのに・・・身体の痛みに合わせていろいろ、楽になるように工夫してきていたのに
と思ったけど仕方がないと考えなおしました。
ただ、その移動(いどう)する部屋というのが今までとはちがってかなり条件のある部屋でした。
いわゆる、無菌室です。
まず、面会は3親等以内の家族のみ
つまりは、友人については入室できないということ
そのため、身内以外とはラウンジでの対応になるとのこと。
移動先の部屋をみせてもらいましたが、見なければよかったなと思ってしましいました。
そのあと、入室できるまで
かなりの時間ラウンジでまつことになりましたが、長い間イスにすわったままだったので
今の私にとってはきついと感じる時間でした。
そういえば、長いことこうやってイスにすわるということがなかったなと思いました。
そのため、ナースから声がかかった時には体がふるえてしまい力が入らず脱力状態(だつりょくじょうたい)になってしまいました。
ラウンジをフラフラしながら立ちあがって、一歩ずつ歩きだしましたが具合が悪くなりそうな気配(けはい)がしていました。
さて、移動した部屋ですが、以前の部屋はトイレと洗面所がドアでしきられていました。あと収納(しゅうのう)も広くカイテキでしたが、
今回はトイレはカーテンでしきられているだけ、
そして大型空気清浄機(おおがたくうきせいじょうき)、
細菌予防(さいきんよぼう)をほどこした水道などの設備(せつび)があって
収納(しゅうのう)はせまい状態でした。
ものすごく、押しこまれる感をつよく感じる部屋でした。
そのため、私がまず思ったのはモルモット用の実験室?でした。
さながら私は治療の実験台(じっけんだい)みたいと思い
なぜかなみだがでました。
ただ、プレドニゾロン(ステロイド剤)で感染症にかかりやすくなることを避けるためには
必要なのだと思いなおしましたが、一気に病人であることを痛感(つうかん)しました。
これから、はじまる治療の大変さを知ることとなりました。
せつないなぁとぽそっと言葉がもれました。
第28章 見えない出口
いいことも悪いことも
みぞおちの激痛がはじまってから、できなくなったことがたくさんありました。
鼻をかむ
セキをする
くしゃみをする
つばをのみこむ
これらは、みなさんは何ともなく行っていることと思いますが激痛がはじまった私は、できなくなっていたことになります。
このころ、みぞおちの痛みはほぼ消えていましたが、ワキバラの付近の痛みは日によっては、右側にでたり左側にでたりと日がわりでありました。
ただ、その痛みも以前のような激痛ではなくうずくくらいに軽減(けいげん)してきていました。
そんな中、歯みがきのときにあやまって水が鼻の方に入ってしまったようで・・・
以前はこんなことでもセキができないので、水を出せずにかなり苦しくてしんどい状態でした。
今日は、片方の鼻をふさいで何とかしてみようとチャレンジしてみました。
以前よりは、楽に出てくれました。
でも、まだくしゃみやセキといったことはこわくてできません。
なにせ、それをしたときの激痛が半端(はんぱ)ないので
このところはそうなると、手で口をおさえてこらえるということをしなければなりませんでした。
こういったことも少しづつできるようになっていくのかな?と思いうれしいことでもありました。
またできるようになることは、病気が回復することへの希望のように感じる瞬間(しゅうかん)でもありました。
このころできるようになってきたこととして、朝の起床時に寝がえりがうてるようになったこと
ベッド上で、ベッド柵を持って体を動かすのが自由にできるようになってきたことでした。
また、それまで何と枕が重かったこと、自由に動かすことができなかったのですが、片手でも動かせるようにやっとなってきました。
そうして、少しずつベッド上で動けるようになったことからか悪くなってきたこともありました。
腰のあたりがこわばるようになってきました。
あっちがよくなると、今度はこっちが悪くなるといった感じです。
大きな病気をするということは、あきらめることが増えたり、
よくなったり、悪くなったりをくりかえしていくことに対して何があっても受け入れるしかなかったり、
私にとっては、この時点では終わりがみえないことがかなりの不安でもありました。
ネットで情報をひろおうと思っても、薬の副作用はいくらでもあるけど一人として同じ症状の方がいないのには
気持ちの行き場がなくなってしまったことでもありました。
起きると大変なこと
10月31日の朝、それらしきがありました。
女性としてある月経が、今回一ヶ月以上は遅れていました。
やはり貧血の影響(えいきょう)が強いのでしょうか?
いつもなら、初日にある程度(ていど)の出血があって、2日目は多く出血し
その後は少量になり終息していきますが、いわゆる生理痛らしき痛みも私の場合には軽くて腰のだるさもあまりない状況でした。
だいたい約5日程で終わるサイクルです。
とりあえず、主治医から薬をのみはじめたことで月経はとまっていくことになる話と、もし出血した場合にとまらなくなるということがあるから、
出血がはじまったら知らせるようにしてほしいと話がありました。
私の今の血液の状態については、輸血はしてはいるものの血小板や血球が減少しているので、出血があればとまらなくなる可能性があるとのことでした。
ケガは禁物ということだなと思いました。
その話をしてすぐに、腰の重だるさを感じてからホントに少ない出血量でしたが月経がありました。
さて、この出血は止まるんだろうか?
とまらなかったら、どうなるんだろう?
出血初日、2日と続いたものの、3日目の11月7日からはとまったようでひとまず、ホッとしました。
第29章 自分をたもつことができるのか?
白血病になって、さまざまなことが起きていく中でたくさんのことを考える機会(きかい)が与えられたのだと思います。
家族からは、「今まで頑張りすぎたのだからちょっと楽して休めばいい」と言われて
その気になってみましたが、根が貧乏性(びんぼうしょう)で、入院していても何かをやっていないと落ち着かないと感じていました。
今まで、がむしゃらにやってきてゆっくりと時間をもらってといったことがそういえばなく、ひたすら忙しかったなと感じます。
みなさんも、おぼえがありませんでしょうか?
毎日、当たり前のように同じルーティーンですごしいて心のゆとりなんてなかったというのが本当のところだった経験があったりしませんか?
私も、ただただ一生懸命(いっしょうけんめい)だっただけなんですけど
ここまで生きてきて、ストップ!と言われてどうしていいのか?わからなくなってしまった状態でした。
そんな精神状態の中で
誰とも話さないことでテレビと天井とにらめっこの毎日だとして、心のよりどころは?
そうきかれても答えはみつかりませんでした。
ただ毎日不安だった、それだけでした。
若くても、ぼけるのかな?なんてことも考えてました。
そんな不安の中で、やっぱり人とのコミュニケーションは欠かせないもので
どれほど大事かがわかるものです。
介護現場においても、コミュニケーションの重要性(じゅうようせい)はわかっているはずですが、できていないことが多いのも事実(じじつ)です。
最初にお話ししていた、ナースあるあるでもご存じのとおりですが、
明日、もしかしたらこの世からいなくなるかもしれない人を前に看護、介護は何を思って仕事をしていけばいいのか?
そう思って接してくれている方がいてくれることで、どれだけ心が救われるのか・・・
ひとことひとことが、入院中の患者にとっては大事だということに気づいてほしいと思います。
そのひとことで、不安でもがんばれるし痛みもたえられる
そんなひとことを病気をなおそうとしている人はまっているのかもしれません。
だから、だ天使にはならないでほしいとそう願います。
ナースあるあるは、このあともときどきでてきます。
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