自己紹介
はじめまして、admin(アドミン)です。
簡単にわたしの自己紹介をしたいと思います。
ぽっちゃりができあがった経緯(けいい)
このあと、ぽっちゃりになった原因をぞくぞくと書いていきます。
みなさんも問題点を確認していっていただければと思います。
こどものころは?
別の話でもふれていますがわたしはものこごろついたときから、
よく食べ、よく寝る子でした。
そして、あかるくて、おもしろい(自分でおもっている)元気な女の子というイメージでした。
そして何しろ食べることが好きで、気づけば食べていたといったことがよくあったと思います。
特によく食べたのがごはんでした?
今思えば、一番衝撃的(しょうげきてき)だったと思うことがありまして、
あとあとになって『なんでこんなにぽっちゃりになったのか?』と原因を考えたところ
近所にこれまたおいしい魚屋さんがあったことでした。
それとよく行っていたのは、駄菓子屋(だがしや)さんですが
それよりも、魚屋さんへのラブ❤がとまりませんでした。
すべては、一度夕飯にサバの干物(ひもの)を食べたことがきっかけでした。
両親に内緒というとこがミソで
ワクワクしながら買いにいって、帰宅したあとでご飯を用意し魚を焼く
そしてパクパクと・・・なんと幸せなこの時間。
ちなみに一応その時間は、3時の時間なのでおやつです。
そういったおやつの日は魚屋さんから駄菓子屋さんにハシゴしてました。
魚屋はバレるとまずので、さすがに毎日はいけませんでしたが駄菓子屋は毎日かよってました。
あとは、うちの食事スタイルですが、大皿で自分で量を調節しない限りは食べたいだけ、
そして好きなものを好きなだけ、
きりがなく食べれるビュッフェスタイルだったことも要因(よういん)だと感じます。
その食事スタイルはもちろん、子供ですから制限するなんてないようなもので、
おなかいっぱいになるまで、食べていきます。
そして最大のぽっちゃりを育てたのが、甘みのある炭酸のジュースでした。
その炭酸ジュースの正体はといえば、ファンタオレンジではなくグレープの方です。
あのシュワシュワする感覚のあと甘味のあるグレープの味の甘味
それがくせになり、夏の暑い日に汗をダラダラかいているときなんかにのんだら最高でした。
そんなこんなですから、あっという間に大きくなりぽっちゃりさんのできあがりというわけです。
つまり、そのおやつという名の誘惑(ゆうわく)にひかれたときから、
記憶によると、そのおやつにサバを食べるようになった小学3年生ころからじょじょにぽっちゃりになってきてしまったと感じています。
むろん、ダイエットなんて考えたこともありませんでした。
小学校高学年におきたこと
まだ、小学3年のころはそういったことはおきることがありませんでしたが
学年があがるにつれてぽっちゃりになったわたしを待っていたのは、他人による視線でした。
ちょうどその当時、歯の矯正(きょうせい)をおこなっていたこともあって
わたしの歯にはワイヤーで、おく歯から前歯までをととのえるための装具(そうぐ)がつきはじめたことが影響(えいきょう)していたこともあって
めずらしいことだったので目立ったのだと思います。
わたしはよくこう思ってました。
『同じ人間なのに・・・そんなに見た目がきになるのならば、みんなロボットのように顔もすがたかたちも何もかも一緒になればいい!それならの何も文句(もんく)ないでしょ!』
そういきまいてました。
ただ、ぽっちゃりになったことに対する『悩み』がじょじょにでてきていました。
まず、よく汗(あせ)をかくようになったこと
そして、つねにまたずれをおこし、痛みを感じるようになったこと、
たぶん、そういったこともあっていろいろと考えてしまい
他人には自分がどのようにうつっているのかがきになってきたように思います。
たぶん思春期(ししゅんき)をむかえてたこともあるのではないか?と思われますが。。。
そのときはじめて、『ダイエット』という言葉が頭をよぎりましたが
ごはんの魔力(まりょく)にはかてませんでした。
わたしの通った小学校は、座席の配置(はいち)では各班ひとかたまりで
8グループほどの男女がくんで、男子と女子が席をあわせて授業や活動をしていました。
みなさんの学校はどうでしたか?
他のグループは男子3人に女子3人、わたしのグループは男子3人と女子2人でした。
そのうちの一人がわたしで、もうひとりの女子もぽっちゃりさんでした。
とある日、男子が合わせていた座席を離しはじめたことのがことの始まりでした。
そのこととは、いじめです。
その内容は日に日にエスカレートしていきますが、まず彼女に対してあからさまに完全無視(かんぜんむし)をしたり、
「デブ」や「汚い」といった言葉を言うようになり、
正義感(せいぎかん)の強かったわたしは、そのことに対して腹が立ち彼女をかばうように仲良くするという反撃(はんげき)にでたわけです。
ただ結局、わたしも「いじめ」のマトになりましたけど、
『座席をはなしたければ、はなせば!』
最初のころはそう思っていましいましたが、
毎日続く、完全無視や傷つく言葉をいわれたり、
帰り道で石を投げられたり、されることでの精神にボディーブローにようにきいていきました。
かいほうされたときにまっていたもの
いじめをきっかけにして、失ったもの、かんじたこと・・・
いろいろありました。
それとともに、自分でも自覚(じかく)していたのですが、あれだけあかるかった性格が、
暗くなり、
つねにネガティブにものごとを考えるようになったことが、わたしにとってのおおきな変化だったと思います。
芸人ギャグなんかをよくやって、家族を笑わせていたといったこともいっさいしなくなり、性格がかわってしまいました。
あとそのころのわたしがよく思っていたのは
「早く大人になりたい」
そうすればこのしがらみからぬけられると、そういうことを考えてました。
また、こんなことも考えていました。
小学5年生のときにうけた道徳(どうとく)という授業の中での【思いやりの授業】をとおして、
それは、彼らにとってのわたしができる思いやりは?と考えたとき、
その答えとして、
『わたしの存在(そんざい)をこの世からけしてしまうことではないか?』
つまりは、『死んだ方がいい』ということなのだと
今思えばなんとなく、いきすぎ、考えすぎの感じがありますが
たぶん、精神がおいこまれたなかで無理やり自分のこころに納得(なっとく)させるためのいいわけを作ったにすぎなかったと思いますが、
そのときは「死にたい」と思うことで毎日がすぎていきました。
ただ弱音(よわね)は、はきたくありませんでした。
「休みたい」そう思わない日はありませんでしたが、
なんとか、卒業(そつぎょう)=解放(かいほう)と思って1日1日をカウントダウンするようにすごしました。
負けずぎらいの性格のわたしでも、
『両親には心配をかけたくない』
そう思って、家ではなるべく明るくふるまいわからないところで布団に顔をうずめて泣いてました。
そして休むことなく通い卒業をむかえた、その日。
『やったー!解放だ』とさけびだしそうになりながら満面(まんめん)の笑みをうかべて卒業式に参加したことを覚えています。
なんとなく、気持ちがふっきれた
そんなきがしてました。
ただそのころには、身長は160センチ、体重は60キロ近くになっていました。
ぽっちゃりさんのかわりめ
またいじめられる?
そうして無事に解放されて中学校に入学したわたし、気持ちがすっきりしたおかげか
過去(かこ)を消しさるように以前のように明るくふるまうことができるようになりました。
その当時は、ベビーブームのまっただなかにあって子供が多く
わたしの行った中学は3つの小学校を集めたマンモス校といわれてました。
10クラスもあり、1クラス40人ほどで座席(ざせき)が前からうしろまでびっしりつまってました。
あのいじめてくれた男子もいましたが、これだけ1クラスに生徒(せいと)が多いと同じクラスになることもまれで、たとえ一緒になってもこちらとしても一切かかわることなく、
他のクラスになればなおのこと、廊下(ろうか)ですれ違うといったこともなかなか少ない、
なによりいろんな子がいたことや、明るくなったわたしは外見をきにすることもなくなったのでかなり気楽になりました。
むちゅうになれること
さて4月みんなが部活動に入ろうと悩んでいる中、わたしも例外(れいがい)なく考えてました。
わたしはテレビをみてそだったといっていいほど、朝からテレビをつけては
ときに父親と野球中継(やきゅうちゅうけい)の日に、よくチャンネルあらそいをするといったこともあるほど、テレビっ子でした。
その当時テレビではわたしの目にとまったのが、ドリフの全員集合と「アタック№1」というバレーボールのアニメでした。
わたしもそれにならって、「バレー部に入りたい」と考え申し込みました。
ところが、このバレー部は総勢(そうぜい)人数がかなりなものでレギュラーという枠は6名しかなく、
補欠(ほけつ)にはいっても6名、これがAチームといわれ試合にはこのチームがでれることになっています。
このAチームは、ほぼ三年生になっています。
そのため、2年生は外のコートでチームをくんでBチームで練習をし、1年生はすべてのボールひろいをおこなうことになってました。
そんなバレーボール部に申し込んだ女子は、やはりアニメの影響でかなりな人数で翌日から、セレクションという名のテストが始まりました。
テストといっても、毎日毎日、学校の周りを何周もランニングさせられるのですが、タイムが決まっていて、
その時間内に入れなければずっと先輩(せんぱい)の練習が終わる時間まで、
または練習中のボール拾いの前の時間まで、走らされるというテストでした。
「デブは、運動が苦手」そう思われたくないと思い必死でしたが、
さてぽっちゃりなわたし、果たして大丈夫かな?
ちょっとはやせるのかな?
あわい期待を胸に・・・と思ってましたが、
無事テストは合格。
そして、うれしいことに体重が減ったのです。
ちなみに4キロ、つまりは56キロです。
わたしにとってはうれしい悲鳴(ひめい)でした。
というのも、最近60キロはきったことがなくじたくにあった新しいおもちゃ(ホッピング)も60キロの体重では利用できない使用になっていたので
さっそく利用してみましたが、ながくは続きませんでした。
それもそのはず、気をよくして『運動するからたくさん食べて体力つけなきゃ』とポジティブになってしまい、よりたくさん食べてしまってました。
だから、その後はホッピングにはのれなくなりました。
3年間でえたもの
ただ、ボールを毎日おいかけていたことで、ぽっちゃりなことにひけめを感じているわたしを再度活動的にしてくれたこの時間は、
大変きちょうなものになったことはいうまでもありません。
そんな充実(じゅうじつ)した3年間もおわりが近づいたころ、進路を決めることになりました。
わたしは、まっさきにつぎは
『女子高に行こう』
と決めてました。
なぜなら、自宅からかなり近くに学校があったこと、
それと、私にはやはり、いじめられたことの影響もあって
できれば男子のいない環境にとそう思ったことが、女子高いきの決定打(けっていだ)になりました。
結局、ダイエットもせず、
体重は減らなかったものの中学3年間ひたすら練習してきたバレーボール部のAチームのレギュラーの座は獲得(かくとく)することができたことで、
ぽっちゃりなわたしにバレーボールが自信をあたえてくれた、そんなきがしました。
女子高で楽しい高校生活をすごす
そうして、女子高に入学したわたしは、やはりバレー部に入り練習にあけくれる毎日をおくりました。
もちろん、よく食べ、寝て、練習してをくりかえしていました。
ダイエットのことは少しきになりましたが、運動量も多いから問題ないとそう思ってしまってました。
そして、食生活の方は大きく成長するとともに、といっても横に大きく成長ということですが・・・
一番きにいって食べていたのが、朝食にはモチを食べることでした。
その数なんと8個、それに味をつけます。
味はいたってシンプル、しょうゆにサトウをとかしてつけたものにノリをまくスタイルです。
幸せのひとときと思ったのですが、午前の授業はおなかがなってしまい腹持ちが悪かったので、
昼食に売店で菓子パンを購入し、持参したお弁当と一緒に食べるという
かなりな悪循環(あくじゅんかん)におちいってしまったため、またごはんにもどしました。
ただ、運動の活動量もおおかったこともあり体重はそれほど変化なくすごしました。
高校3年生にもなると、部活動を引退することになりましたが
あいかわらず食べる量はかわらずでいたため、
70キロ近くまでいきました。
そして、卒業ということは進路をきめる大事な時期になったわけですが、
わたしの夢は、アニソン歌手になることでした。
ただ、田舎にいてはそのチャンスはないので、夢をつかむためには
『東京にいくしかない』とそう決断をします。
ただ、ふとなやみごとがでてきていました。
そのアニソン歌手、『ぽっちゃりさんはなれるのか?』といった疑問(ぎもん)です。
ただ、もう東京行きのチケットもかってしまい、
大学もきまってしまっていたため、あとにはひけません。
友人と一緒に、新幹線にゆられて『夢の実現(じつげん)』にむけて不安をかかえて出発をしていきます。
さて、外見をきにしはじめたわたしにどんな人生がまっているのでしょうか?
大学時代はたしてどんなものになったのか?
大学はバレーボールのおかげで、スポーツ推薦(すいせん)で行くことができました。
上京したわたしの住まいは大学の寮、
食事は寮の食堂で朝夕たべて、昼と夏休みなどの休暇(きゅうか)のときは、自分で用意するといった生活スタイルにかわりました。
いままでのように大皿で好きなものを好きなだけといったことではなく、
それぞれ小皿にもりつけられていて、ごはんの量だけ調整(ちょうせい)できるという状況とコンビニ等での食材をかうといった生活スタイルにかわりました。
もちろんバレーボールを続けるつもりではいました。
ちなみに、女子大です。
その魅力みりょく)は男子がいないこと、つまりは気がねする必要がないということでした。
そしてわたしはまた、入学してすぐバレー部に入ろうと考えます。
その入部にはやはりセレクションがあり、当日、大学の体育館にはかなりの人数がきていました。
なにげなく、ふと周りを見回したときにボールさばきのレベルのちがいに
これは無理だなとさとり、バレーボールを大学で続けることはあきらめました。
そのとき頭をよぎったのは、そうアニソン歌手になることでした。
ただ、どうやってその夢に近づけるのか?
授業もうけなければならない、そして一番きがかりただこと
そう、「ぽっちゃり」なことがでてきてしまいました。
めすらしく、おちこみますが考えれば考えるほどいいアイディアはうかびませんでした。
はじめてダイエットを決意する
世の中のアイドルや歌手といった方々は、みんな見事にやせています。
プロフィールのところには、体重何キロと書かれているものがおおく
たいがいは40キロ台がふつうで、
いまのわたしは、70キロとかなりな重量(じゅうりょう)です。
どう目をつむってもやせてはみえません。
そして、決意したもう一つの理由が当時ずっと好きだった人にふりむいてもらいたいというきもちもあって
それならばと、
「痩せてやる!」となった次第です。
そう決意してチャレンジしてみましたが、結果は4キロほど減っただけで長続きせずにおわりをむかえました。
ただ、そのチャレンジは、今後のわたしの人生に重大な事件をまねいていきます。
それについては、このあと順をおってお伝えいたします。
恋も夢もわたしにとっては縁遠(えんどお)いのか?とそう思うしかありませんでした。
介護士になって
夢や恋に見放された女子が、やることといえば
みなさんさっしの通り、バクバク食べることです。
介護士(かいごし)として夜勤をやるようになってから、食にまっしぐらでした。
夜勤の当日からのわたしのスケジュールの一例です。
夜勤日
7:30 軽めの朝食(ロールパン 2個)
12:00 昼食 ここは普通に食べる
13:00 通勤
15:30 コンビニでリポビタン(2本)、サンドイッチを購入
1本は夜勤の前にのむ
16:00 夜勤開始
休憩時にコンビニ購入のものを食べてのむ
翌朝 9:00 仕事終了
11:00 帰宅
11:30 食事 どんぶりに山盛りのケチャップライス
材料に大量のソーセージ使用
12:00 睡眠
15:00 起床
買い物 できあいの天ぷら、ケンタッキー・フライド・チキン、
ドミノピザ(Ⅿサイズ 一枚)、さしみもりあわせ
18:00 食事 フライパンに2束のかけそぱを作り、天ぷらをのせる
あとは想像におまかせ
食事以外にも飲酒もしてました。
ビール350mlを6缶・・・
よくあれだけ食べて
のんでたものだと感心し、
その生活を続けていれば、当然体重もドンとふえるのは当たり前のことでした。
それからは、夜勤の仕事から日勤の仕事に転職(てんしょく)したものの
リポビタンはのまなくなったものの食欲だけは、落ちずに同じような生活を数年続けてました。
しばらく体重計にのっていなかったけど、ふとしたときにのってみたところ
おはずかしながら『73』の数字が目に入ってきて、目が点になりました。
のらなきゃよかった・・・とそう思いました。
これまでの食生活を考えれば当たり前のことですが、当時のわたしはその現実を
うけ入れることが中々できませんでした。
ただ、いったんはやせたはずのわたしの記憶がこのようになっていることに対して、この分だとまずいなとそう思いました。
さてここから、色々ダイエットについて考え行動をしていきます。
次からは、ぽっちゃりさんがダイエットにひたむきにとりくんで奮闘(ふんとう)ながらも、
最終的に19キロ減のダイエットに成功したこと、
そのとき感じたこと、
そういったことをみなさんにお伝えできればと思っています。
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