わたしが堕ちた地獄、あなたがそうならないためのダイエットバイブル

ブック

画像引用元

どうしてこのようなことになったのか?

まじめにやればやるほど、思っていたこととちがう方にころがり堕(お)ちていきました。

それでも、ただひたすらやせるだろう

やせていくんだと信じていました。

でも、現実は思った以上にひさんな状態になっていったのです。

わたしの中では、たかがダイエットでした。

それをやっただけで、こんな風になるなんて・・・考えてもみませんでした。

みなさん、そういった状況ってありましたでしょうか?

前回は命にかかわるお話でしたが、今回もあけてはいけないダイエットの別の扉をひらいてしまったがために

わたしの生活も人生もかわってしまったというお話になります。

できれば、みなさんにはそうなってほしくないとねがいながらご紹介していきたいと思います。

はじまり

スタート

引用元

ここから

いきていれば、いろんなことがあります。

でも、わたしの人生のほとんどがぽっちゃりでいたことによる

なやみで頭がいっぱいでした。

なので、食べものを見ればすぐに、

これカロリー高くないかな?とか

食べたら何キロカロリーになるのか?とか

食べても太らない、大丈夫かな?といったことばかりをつねに気にしていました。

わたしが本格的(ほんかくてき)にダイエットをはじめたきっかけは、失恋したことからだったと

以前にお話させていただいたとおりになりますが、はじめてつきあった彼に浮気をされ

お別れした話でありました。

当時は、とても自身をせめつづけていきました。

そのせめた内容は、もちろん『わたしがぽちゃりだったことでそうなってしまったんだ

『もっとスタイルよくて、オシャレだったら別れなくてすんだかもしれないのに』といったものでした。

ただ、そのおかげでダイエットをはじめるきっかけにはなったわけですが、

なによりも、根があきらめないといったこともあり

がんばってがまんするといったことも手伝ってか?

つい、いきすぎてしまったのかもしれません。

やってもやっても、なかなかへっていかない体重にいやけがさしてきたころ

ふとわたしが考えついたことから、ものごとが動きはじめます。

わたしの場合、どこからさきにやせるか?ときかれたとき

まっさきに胸からと答られるほど、わかりやすくなっています。

そのあとはおなか、そして足

そしておしり、

最後に顔といった感じですね。

どうやったら、おしりや足といったところからさきにやせるのかな?

このまま食事制限していたとしても、らちがあかないと思っていました。

ダイエットをおこなうさいには、極力(きょくりょく)時間をかけてゆっくりとおとす方が

からだにとっての負担も少なくてすむのですが、このときのわたしは

1日でも早く、しかもがっつり体重をおとしたいと考えるようになっていました。

というのも、それ以前の食事制限のために

もうだいぶ、精神的にはきていたのかもしれません。

さて、どんなことをしていたのか?ですが、

食事量をへらすといった単純なダイエットをしていました。

これは危険なかおりがプンプンします。

とくに、ごはんの量をはじめは八分目くらいとしていました。

が、それがじょじょに1/2から1/3になり

最終的には食べないといった状態にまでなっていきました。

そのほかに、あげものの衣ははがすといった状態にしたり

ジュースはなるべくのまずに、ウーロン茶だけにしたり

といったこともしていました。

なのにへらない、毎日ランニングもしましたなのに。

だんだん、エスカレートしていく前兆だったのかもしれないと

いまになってみればそう思いますが。

ここでは、わたしはこれ以上の結果がほしいと欲(よく)をだしてあせってしまいました

そうでもして

しばらく、ごはんをへらして続けていましたが

夏休みになり、学生寮での食堂がお休みになったときに考えちがいをしたな・・・

とそう思うことをしはじめました。

またまた食事をかえました。

  • 朝 オニギリ2コ
  • 昼 コンビニのざるそば
  • 夜 こんにゃくゼリー 10コ

さずがに、この状態でいると毎日ひもじくてひもじくて

夜中におなかがなっておきる、といったこともありました。

でも、夏休みはサークル活動(ラクロス)をしていたこともあり

かなりの運動量、

休みの日は、サウナスーツをきてランニングといった生活をし

結果的にそのごの健康診断でひっかかりました。

その内容は、貧血(ひんけつ)でした。

しかたなく通院し、鉄剤といわれるもので貧血の回復をまちました。

ちなみに当時のヘモグロビン値は9.8

通常は、成人女性は12.1〜14.5といわれています。

それと比較するとだいぶひくい状態になってました。

鉄欠乏性貧血(てつけつぼうせいひんけつ)といわれます。

そのご、薬をのんで回復したため

通院の必要性はなくなりましたが・・・

それでも、こりないわたしがいました

そこまでする?

通院がひとだんらくすると、なにごともなかったかのように

またわたしは、あることを考えつきます。



スーパーやコンビニなどで何かを購入すると、かなりお金がかかるなぁ?

そういえば、テレビにでているやせてる芸能人っていがいにお菓子を食べてるよな・・・

もしお菓子だけの生活にすれば、かなり安くてすむな

そうだ、お菓子だけの生活にしたらあの人たちのようにやせるかも?

もしかしたらおしりや足からやせるかもしれない❓

と普通に考えたらありえない話といえますが、

よしやってみようとなったわけで・・・そのときのわたしは、真剣だったんです

お菓子といえばいろいろありますが、クッキーやビスケットあたりは

甘いのはちょっとさけようかな?とか

できれば、おせんべいやスナック菓子といったものにしようかな?とか

はたまた、体にいいのは?とすれば餡子(あんこ)なんかがいいのかな?

なんて思いながら、スーパーの商品棚でちょっとウロウロしました。

とりあえず、わたしが目をつけたのはおせんべいとスナック菓子でした。

で、3つほど購入すると300円ほど

これはこれはいいかも??と思っていますが、ほんとこんなんでやせるのか?と

『やせない!』

『身体をこわしてしまうぞ!』といった声がきこえてきそうですが、

これは、当然のことながらながくは続きませんでいた

なによりやせない、このひとことでした。

大学生の夏休みはとても長いので、このダイエット以外にいいものを考えなければ・・・

となっていきます。

いちおう、あせる?必要性はまったくないのですが、

なかなか思うようにいかないことに、ますますあせりをおぼえていきます。

やがて、『このいっせんこえないで~』とどこかで思っていたのですが、

わたしのそのはかない思いは、ダイエット=成功というものにもろくもおしやられていきました

何にしてもお金がかかる

大学生活は質素(しっそ)に、あまりにも大学の学費がたかかったことを考えると

浪費(ろうひ)はできませんでしたから。

夏休みといえどもできれば、節約(せつやく)をしようと気持ちがはたらいたのもありますが、

考えるのもめんどうになってしまい、

けっきょく、『何も食べないことにしよう』となってしまいました。

つまりは絶食(ぜっしょく)です。

そこから、やく1週間水分はとるものの

食べものといえるものは、ほとんど口にすることがなくなりました。

そこまでしてやせたいと思っていたのですね。

そして、体重はといえばいいとこ2~3キロへっただけといったところでした。

ただ、わたしの体にも変化がでてきていました。

それは、夜ねむれなくなったことです。

そして、1か月に1度はくるであろう生理がこなくなってしまった(無月経)のです。

でも、確実に体重がへってしまったことでわたしはカンちがいをしていくことになります

このままこの状態をつづけていくべきだろうと・・・

そのひと口

過食症

引用元

それからさらに1週間がたつと、わたしはなんとなく体が宙をういている感じがするな

と思っていました。

そして、どうじに集中力もやる気もおきなくなってしまいました。

はじめたころは、グーグーとなっていたおなかも

このころになると、うんともすんともいわなくなりました。

そして、便秘をするようになりお肌もあれていきました。

この状況でもわたしは、この状態がダイエットによるものだと思えず

ダイエットから手をひくことはありませんでした。

そして、お盆のころになり学生のほとんどが実家に帰省するといった時期になると

わたしも帰省することになりました。

実家の家族は甘いものがけっこう好きなので・・・と、駅でおみやげをかうことにしました。

ここで、わたしは何を思ったか大量にいろんな種類のおまんじゅう(2箱)やおだんご2箱とそれ以外にも

といったものをかっていきます。

こんなにかってどうするんだ?と思うくらいに、かいこみました。

実家につくと、母がおみやげをみてびっくりしてました。

こんなに・・・?

ひとつは母が職場にもっていくことになりました。

そこからわたしは、何かせきをきったようにおみやげの箱の包装をはがしはじめ

たべるはずではないのに、あれあれ❓と思ってるうちに

おまんじゅうを1個口の中にほうりこみました

あ”〜食べちゃった❗❓?

自分でもびっくりです、ほとんど無意識でした。

ふだんはそういったおみやげ式のおまんじゅうとかは、ほとんど食べません。

なのに、どうしちゃったんでしょ❓

でも、それが引き金となったのか?ダムの水を放流するかのようないきおいで

気づいたらひと箱まるまる食べてしまってました。

自分でもまたびっくりでしたが、もうおそい?

断食ダイエットは失敗におわったわけでした

が、わたしはほんらい甘いものがあまり得意ではないのですが

まるまるひと箱食べきったことには、おどろきしかありませんでした。

人間の飢餓状態(きがじょうたい)での食欲ってすごいな、とも思いましたが

食べたあとのわたしはといえば、

つぎの箱にも手をだしそうになっていたところを母にとめられて、そのいきおいはおさまりましたが、

とめられなければ、つぎからつぎに食べていたというほどのものだったと感じています。

でも、おまんじゅうがおいしかったわけではありませんでした

気づいたら、とめられなくなっていたといった感じだっのです。

もちろん、食べたあとは罪悪感(ざいあくかん)でいっぱいになりましたが、

吐くこともなく、

いままでがまんして食べてなかったのだから、

『明日からまたがんばればいい』

と自分をそうなだめて納得(なっとく)させているわたしがいました。

でも、そうは思ってもわたしの食べたいという衝動(しょうどう)は

そうそうやすやすとは、とまりませんでした。

夕飯もばっちり食べて、つぎの日の朝からまたおまんじゅうひと箱あけ

午後もひと箱あけてといった状態、まるでいままでの空腹をうめるかのように

わたしは必死で食べていました。

けっきょく、体重はせっかく2~3キロへったものがキロもどってしまうといったことになりました。

あちらにもどったら、またはじめればいいんだと

そればかりを思っていました。

食事を食べないという選択をしたがために

けっきょくリバウンドと過食症(かしょくしょう)をおこしてしまったような状態だったことは、まずまちがいがないことでし

このわたしの選択はよくなかったと、そう思います。

このあとのわたしはつぎに、はたしてどんな選択をしていくのでしょうか?

【過食症】何らかの心理的ストレスをきっかけにして突然大量の食物を食べ続け、身動きできないほどになりほとんどは自分で吐くことでおさまり、これが習慣化していく病気である。 過食&自己嘔吐をストレス解消として儀式化していくこともまれではない。

トイレとにらめっこ

吐き気

引用元

帰省先からかえってきたわたしは、あのあともこれでもか!というくらいに

食べつづけていました。

これはすねたといったほうがいい状態だったのかもしれません。

まったくもって思うようにいかないことに、体重がへらないことに

がっかりもしましたが、たくさん食べてしまったことでも

自身のこころのコントロールがもはやできなくなってしまっていた気がします。

学年があがり、4年生になるとほとんど大学にいくこともまれになって

しかも、20歳をこえたこともあって飲酒が可能になると

わたしのぽっちゃり人生はそれに拍車(はくしゃ)をかけていきました。

ビールはおなかがでるからと、もっぱらウーロン杯をたのんでました。

しかも、食べものは太るからとほとんど手をつけることがありませんでした。

このころは、ダイエットも何もあきらめてしまっていました。

そんな中で、よっぱらいの男子集団にいじわるな言葉をなげられたこともありました。

でも、正直どうやっても、何をやってもやせることはないのだ

確実にきめつけてあきらめてしまっていた、といったことだったと思います。

『もう食べるだけ食べてやる❗』

といったひらきなおりの気もちでしたが、やはり太ることはイヤなのか?

飲酒のときは、食べものは食べないといったダイエットらしきこともしていたと

なんとも矛盾したことになっていました。

そして、そんな中わたしにはじめての彼ができたわけなのです。

そう、みなさま読まれてこられた方はごぞんじのとおりの

このあと、お別れ事件がおきた彼になります。

ただ、別れてしまってからが悲惨(ひさん)でわたしは

アルコールをのむ量がそれまで以上によりふえていきました。

これなら、気持ちをまぎらわせることができるとそう思っていました。

そのころには、卒業後の進路を考えたりしなけれぱならず、そういったストレスもアセりもあったのかもしれません。

やせられれば、なんとか人生かえられるかも?と、

ただ、そう思ったことありましたがそれは一瞬でした。

いろいろ考えると、どんどんとそのアセりをつよくすることにもなっていったのだと思います。

そういったことから、つぎの魔の手が扉(とびら)をあけていくことになります。

あるとき、今日もたくさんたべてしまったな・・・?

そう感じていました。

ふと、そうだ食べたものを食べてないことにできたらどんなにいいだろう?

とよからぬことを思いつきます。

そして、そのあとわたしがとった行動は人さし指を口の中に

いれることでした。

と、食べたものはすべて吐くことができました。

そう、その目的がわたしの中でなんともいえない達成感(たっせいかん)みたいなものになって

自分に対して、よくやったといった感覚をあじわうことができてしまいました

どう考えてみても、これって確実にわるい方へと向かっていってると思われますが・・・。

病名としてあげるとするなら、摂食障害(せっしょくしょうがい)ですね。

このままではいけない』、

こんなことしてたら、ダメだ

わかってはいましたが、どうにかする気力もそのときはもちあわせてはいませんでした。

たぶんさぞかし、やせてしまったのかな??と思って体重計にのってみたもののほとんどかわりがないことに

ショックとイライラしてがわいてきてしまい、

なおさらしばらく、その生活がつづいていきました。

そして、あるときふとテレビで拒食症(きょしょくしょう)の女性の特集をくんでいたのをみて

わたしは、ハッとわれにかえりました。

その女性が話をしていたのは、わたしと同じ行為をしたあとで

なんともいえない安堵感(あんどかん)があったこと、

吐き続けたことで、指にタコができて(吐きダコ)しまったことや

歯が胃酸(いさん)でとけてしまったことの話をしていました。

その話をきいて、歯がとける❗❓

えらいこっちゃ

わたしはまだ、そこまでなってない

いまならまだ、もどれるかも

まだ間に合うかもと・・・

そう思えたことで吐く行為は、パッタリととまりました

そのごは、なにごともなかったかのようにすごしていたかに思えましたが、

ことはそうそう簡単にはいきませんでした。

へべれけ

よっぱらい

引用元

吐く行為をつづけていけなくなったわたしは、つぎは別のことをしはじめます。

それは、アルコールをのんでくだをまくことでした。

食事をとらずに、飲酒をするということを毎晩(まいばん)くりかえし

あるとき、知人が『お風呂にはいったあとのビールはほんとにおいしいよ

といっていたことに、ものはためしと浴後にのんでみることにしたのです。

が、これがいけませんでした。

わたしは、のむとどうなるか?といわれたらかわらないとこたえるほど

つよかったのですが、かなり量をのまないとよわないので

そこがよくなかったのだと思います。

他人といると、ほとんど酔(よ)いません

なので問題はそのご、ひとりになったときでした。

帰れば誰に気がねすることも、

終電を気にすることも、

のんで酔いつぶれても、だれに迷惑をかけるわけでもないと思うと

だんだん酒の量がふえていき、考えこんでネガティブになって

泣いて、ねむりこむといったことをくりかえしていきました。

なんとなくお酒をのむと、ちがった自分をだすことができると錯覚をおこしてもいました。

そうやってわたしは、アルコールにおぼれていきました(アルコール依存症)。

そうなると、食生活はかなりあれていったことはいうまでもありません。

ダイエットを考えていたときの方が生きているといった感じがありましたが、

このころのわたしは、完全に生きる意味をなくしてしまったぬけがらといった感じでした。

そしてわたしは、ある日の夜もっともしてはいけないことをしてしまうのでした。

その日は、よくよく考えるとずっと自身をせめていたのだと思います。

途中から体がフワフワしてきたなと思っていたところで、だんだんかなしくなってきたようで気づいたらないていました(ノД`)・゜・。。

頭のどこかでは何で泣いてるんだ?と思っているわたしもいましたが、

それよりもネガティブさがまさってしまったようで

このままいきていてもいいことはない

死んだ方が楽な気がするとそういった考えにかたむいていっていました。

ずいぶんたくさんのんだなと思う反面、このままめざめなければどうなるかな?

なんてことも思ったりもしていました。

どうやったら簡単に逝(い)けるのか?

そう考えて手にしたのは、カゼ薬のビンでした。

たぶんいきおいにまかせて、ほとんどのんだのだと思いますが

うすれゆく記憶の中で、わたしは生きたいと思ったのかもしれません。

そして、玄関近くにあった電話に手がのびて誰かに電話をしてたおぼえがありました。

それから15分ほどして

この世の最後にと話をした知人が自宅の玄関をたたき、『ドアあけて』といわれフラフラしておきあがったわたしは玄関のカギをあけて、

そのあとは知人がはげしく声をあらげてあわてている

そのあとは記憶はうすれていき、病院に搬送(はんそう)されていました。

のんだものすべてをだすように胃洗浄処置(いせんじょうしょち)をされ、薬は体内からすべてだしたのですが

知人につきそわれ、だいぶわたしは

まだそれでもよっぱらっていて、ろれつがまわらないしゃべり方をしていたのをおぼえています。

その病院の女医の担当医に『なんでこんなことをしたの!』

ときつくいわれて思わずわたしがはなった言葉が、

あなたにわたしの何がわかるっていうの!?』でした。

そのご、自宅にかえったことはおぼえていますが、

記憶がなくなっていることが、ほとんどだったため

アルコールがぬけてきたころわたしは、死をえらんでしまったのだと

そして、『もうお酒をやめよう』と考えたのですが

ここまで依存してしまうと、やめることはむずかしい現実がありました

そしてわたしは、これにこりずに再度、同じあやまちをくりかえしてしまいます。

むかしから、なんでもきちんとすませないと、きがすまないところがあって

とくにダイエットをするときにはそのことが、はたらいてしまったのだと感じます。

まじめにやればやるほどの結果をのぞんでいるのに、その結果がともなわないのは

つづけていくことに対しては状況を悪化させる要因になっていったのだと思います。

なんども自分をせめては、ダイエットにむきあわせようと懸命(けんめい)になってやりすぎた

その結果がこの事態(じたい)をひきおこしてしまったといえます。

ダイエットで命を落とす?

でも、あのときの私を思いだすとそういったことになってしまったことを

あのときの自分では、とめることができないほどのメンタルになっていたことを

もっとはやくに気づけば、そのごの人生がちがった生き方になっただろうにと

だからダイエットはほどほどにしておかないといけなかったな

いまは、そう思えます。



堕(お)ちていく

体育座り 泣く

引用元

そんなできごとがある程度すぎたころ、わたしはをします。

でも、またわたしはぽっちゃりであることを障壁(しょうへき)にして

なやみはじめます。

この状態で、わたしが誰かとむきあうということはむずかしいかもしれない・・・

いつしか、そう思うようになっていきました。

ただ、その想(おも)いとは相反(あいはん)した感じで恋心はとめられなくなっていました。

でもなぜか?ずべてがネガティブになってしまうといったことに、

わたしは困惑(こんわく)していきます。

いったいこれはなんなんだろう?と

そんな中でもわたしは、愛の告白をしてしまいます。

でも、あまりにも自分とむきあうことができなかったことで

彼とむきあえるはずがないと

彼にもうしわけないと、

やっとつきあうことができたのに、

わたしからいったのに、『ごめんなさい?』をすることになりました。

わたしはまず自分とむきあう必要性があるという、その考えをフリ切ることができませんでした。

やはり、それでも自分の決意(けつい)をえらんだことには、正直きつかったといわざるをえませんでした。

でも、やらなきゃ

わたしがこうなってしまっていることの理由をみつけなくてはとそう思い

クリニックの扉(とびら)をたたきました。

そのクリニックとは心療内科(しんりょうないか)です。

わたしの状態はあきらかに自分のちからでは解決できなくなっていると

そう思うことはでてきていましから。

そして診察の結果、わたしにくだった診断は『うつ病』でした。

医師はなにもいわず、わたしをせめることもなく

話をすべてきいたうえで、

パキシルという薬を処方して、様子をみるようにといいました。

薬をのんで、どうなっていくのか?

ほんとによくなるのか?と、不安がありました。

でも『治療をする』ときめたから、とりあえずのんでみようと

思って治療していきます。

のんでしばらくして、わたしには不安神経症(ふあんしんけいしょう)らしき症状がではじめました。

それは、なにもしていないですわっていたりしたとき

いきなり、頭の中でその光景をみせられるのですが、

私は、ある道を自転車にのってすすんでいるといった場面をみます。

そして、そんなにスピードは早くはありませんが

いきなり前輪に自分の足がからみついて

足が血まみれになったかと思うと、

バラバラに切断されてしまうといった映像がみえるといったものでした。

それは、自転車にかぎらず電子レンジに何かをいれてあたためていると

急に爆発してガラスが自分の顔につきささってしまい、

血だらけになるといったものだったりと、

いろんな映像となってあらわれるようになっていました。

クリニックの医師につたえても何もこたえがなく、

なやんだころ、クリニックをかえてみたりと点々としました。

少しまともな医師と出あって少しづつ病気はなおってきていると

自身でもわかるようにはなってきましたが、その間20年近くはかかりました。

この病気をなおすとすると、この病気になった期間の倍以上に時間がかかる

ときいたことがありましたが、まさにそれ以上でした。

あのとき、大事な恋はあきらめてしまったのですが、

そうやって決断していなかったら、もっとなおることなく月日をかさね

そして、誰かをもっと傷つけていたのかもしれません。

でもわたしは、彼にはほんとのことはそのときはいえませんでした。

自分のよわさをだせないのっていけませんね?、そうやってかたひじはらずに

いきていければよかったのですが、そうもいかなかったようです



煩悩(ぼんのう)

宮島大聖院

引用元

これまで、よんでいただいたものはわたしが20代という若かりし頃のお話でした。

誰でも、これはつらいといった経験や記憶はあるのだと思います。

でもわたしの場合は、はじめにもお話しましたが、ほんとにたかがダイエットだったのです。

それがいつしかされどダイエットにさまがわりしていきました。

けっきょく自分では、とめられないといったところまでいってしまいました。

それはやはり、わたしの性格といったこともおおきくかかわっていたのだと思います。

そう、その性格というのが、ひとりでがんばりすぎることにあるのだとはわかってはいます。

なのでもう少し、簡単に、ときに肩のちからをぬいてアバウトにやってもいいんじゃないかな?と思うところでも

マジメにきっちりをつらぬくというのは、

自身の精神をおいこんでいってしまうことにつながるのだとこのダイエットをとおしてよくわかります。

でも、なかなかそうやって客観的(きゃっかんてき)に自分をみることなど

そのときにはできないことがおおく、

とくにダイエットにかんしては、どうしても長期にわたりメンタルをおいこんでいくといったこともあるので

開始からそうそうにこころがバランスをくずしてしまって、といったことがおきてくるということにもなります。

身体とはちがって、メンタルは声をあげることはありません

気づいたときは、そのごの治療にかなりの時間とお金をつかうことになります。

うつ病という病気をかかえたわたしは、他人にたすけてほしいといえないことが多くありました。

わたしはこんなはずじゃなかった

これはほんとのわたしじゃない

そういったことをなんども、よく考えるようになっていきました。

みなさんの中でもそういった方はおられるはず、

でも、けっしてひとりではなやまないことをお願いしたいです。

そしてちょっとうまくいかなかったら少しおやすみする

それがたとえ長いことになっても、こころがそうしてほしいといっていることを忘れずに

それにそんなにあせらなくても、1日で確実にやせるやせることは誰にもできないのですから。

すこしずつ一歩ずつ、すすんでいくこと

それをダイエットにとりれてみてはいかがでしょうか?



つぎは、みなさんが実際にきなっているものと思われる具体的にダイエット成功者がどんな方法で

ダイエットに成功したのか?そういったことを書いていこうと思っています。

サムネイル画像 引用元

コメント

タイトルとURLをコピーしました