第20章 ドキドキの危機一髪、やめて~
治療がはじまってからプレドニゾロン(ステロイド剤)が効果を発揮してか、痛みというよりはうずくといった感覚に変わってきました。
しばらくは、プレドニゾロンと抗がん剤を1か月続けてみるとのことでした。
きいてる間はうずく、でも雨や気温が下がるとやはりみぞおちの痛みはでます。
ただ、痛み止めをのむほどまでにはいたりませんでした。
しばらくして、血液の中の老廃物を尿として出すための薬を注入していた点滴クダが外されました。
移動するにしても、点滴につながれていたのでそれがなくなったことで「イヤー動きやすい」そう思わずにはいられませんでした。
ちょうど外れる前夜、右腕に入れていた点滴クダの挿入部が出血してきていたので、 明日やり直すと言われていました。
どこでも、新人さんはいるものですがこの病院というところにも、もちろんいらっしゃいますが
研修医とおっしゃる方々には、いつもドキドキさせられます。
点滴クダのさし直し当日の朝も例外なく、「おはようございます」と一声でのぞいたのは
おそれていた研修医さん、私は内心「 あちゃ~」
「彼がやるのかな?大丈夫かかな?ちゃんとやれるのかな?」と不安のアラシにみまわれました。
案の定(あんのじょう) その後、どこにさすかで時間が経過していきます。
私は、口には出しませんでしたが、「はぁ~ゆううつだ」と思っていました。
まだまだ、的がしぼれないご様子の研修医さんに、白衣の天使からひと言「 今日から、点滴無しです!」との声が聞こえ
「助かった!」とホッとしました。
お勉強の途中なのは、十分わかってはいるのですがこのドキドキはさけられないものと感じます。
たいていが痛みをともないますし、上手なナースや医師が行うと痛くないのはなんででしょうか?
いつも不思議に思います。
第21章 入院中は人恋しくなるもの
抗がん剤の治療をすると、カミがぬけるのは誰でも当たり前なんだと思っていました。
他のがん治療をされている方でも、ぬけない方っているんだろうか?とふと思いました。
やっぱり人によるのかな?
ぬけた私を見たら、みんなどう感じるのかな?
このときはまだまだ、カミに毛には変化はありませんでしたが、いずれそうなるんだろうな?とか
入院すると時間がたくさんあるので、考えるときりがなくなっていきます。
朝おきて、治療や検査がある日は時間が長いとそれほど感じませんが、ほとんどの場合はテレビをみるか、廊下を歩いたりするしかありません。
今の自分は死ととなり合わせの状態なので、不安感がつよいのかもしれません。
人によってはパソコンをもちこんで、お仕事といった方もいらっしゃいましたが
私は、テレビをみたり携帯でゲームやYouTubeをみたりして時間をつぶすしかありませんでした。
入院したはじめのころは、なかなかカイテキなんて思ってましたけどホントは現実的(げんじつてき)なことに目をむけたくなかったのだと思います。
今は入院して、すべてからかいほうされている感覚でとくしたようでも、まだ何もはじまっていないこと
ホントの意味でのスタート地点にたったときには、つまり社会復帰を考えたときにはまちがいなく精神的に、キツくなると確信していました。
そのときがこなければいいと、内心は思ってました。
1日にちの中で、どれくらい他の人と話をする機会(きかい)があるだろう?
朝、部屋に掃除にくる担当者さん、
1日の担当ナース、
回診でまわってくる主治医、
みんな忙しい中足をとめて話をしているヒマはなくかけまわっていて、相手にはしてくれません。
かといって、個室なので他の患者との接点はありません。
ふと、ドナー提供者がいなければ私は長くはないかもしれないと
そう思いました。
そう思うとさびしくなるもので、
いまのうちに連絡できる人には、メールをしておこうと目ぼしい人にはほとんど連絡をしてました。
『白血病になりました』と
メールを送信しながら、現実がどっと押しよせてきました。
私は、白血病になってしまったんだとこれで終わってしまうかもしれないと・・・
メールを送信するたびに、あらためて受け入れなければなりませんでした。
しばらくすると、うれしいことに私への面会希望の依頼が殺到しました。
これまで、入院した人にとって面会はよい機会と思っていました。
でも、実際にはうれしい気持ちとはうらはらに、元気だったころに比べてかわってしまったでろう私を見せるのに気が引けました。
それと、思った以上に入院患者にとって面会は、疲れるものであるといことも感じました。
面会うれしい?うれしくない?
それまで、メールで連絡して面会にきてくれた人も何人かはいました。
ただやっぱり、こちらとしてもきてもらうということは大事な時間を使わせてしまうということが先にたってしまい、
きてほしくても色々考えてしまって遠慮(えんりょ)してました。
ただ、入院して1週間がたったころ、突然の面会(めんかい)がありました。
私にとっては、あまり会いたくない人でした。
私は結婚して、10年以上たちました。
はじめこそ関係はよかったのですが、色々ありました。
その同居をしていました、姑(しゅうとめ)の訪問でした。
お互いに考え方も、世代もちがうもの同士(どうし)が一緒に住むということは
シーソーに気持ちをのっけて均衡(きんこう)をたもっているような感じでとてもむずかしいものでした。
そのバランスはくずしたくないものですが、いつのころからかそのバランスがくずれていました。
今思えば、見えてないだけでもう最初からすでにくずれていたのかもしれません。
どこにでもある、嫁姑(よめしゅうとめ)問題なのかもしれません。
その面会が1時間ほどあって、きてもらったから仕方ないかと会ったのですが
かなり気疲(きずか)れてしまって脱力状態になってしまいました。
ひとまずは、そのことを当日の担当ナースに話をしたところ、つぎにその方がみえたときは、面会制限(めんかいせいげん)した方がよいとのことで
姑には申し訳なかったのですが、対応してくれるとのことで正直ホッとしました。
私の中では、病気を受け入れるだけで精一杯(せいいっぱい)でしたからきづかう余裕(よゆう)はもちあわせてはいませんでした。
ただ、この場をおかりして、入院時に何度もきてくださった方々には、
感謝(かんしゃ)をし、お礼を申し上げたいと思います。
大切な時間を私のために、さいてお見舞いにきてくださいましてありがとうございました。
当時の私にとっては何よりの時間になり、その後の大変な治療をのりこえるパワーをいただけたと感じています。
思ったより大変だったもの
入院している時間はありあまっているものと思われている方も多いと思いますが、検査がある日は一日がかりだったりもします。
ただ、そういった中でもすごし方には、人それぞれと思いますが面会にきてくれた方の中には、本をくださった方がいました。
時間がたくさんあるから、いいかな?
この機会(きかい)にと思ったのですが、読みすすめていくとさっぱり内容が頭に入ってきません。
何でしょう?普段とちがって読みものが苦痛に思えてしまって字を目でおってきくのが、私は大変と感じてしまいました。
かといって、メールなどは見るのは苦痛と感じないのです。
長い入院生活の時間の使い方をこれから、どうやってのりきっていくのか?課題になりました。
第22章 ひとりでコンビニへ
行ってみようか、でもやめておこうか
自分の病室は4階のはしっこにあり、浴室はその反対側のはしっこにあります。
この行き来に、まだ少し体はフワフワするもののだんだんなれてきました。
点滴が外れたことで歩きやすくなったこともあって、毎日必ず入浴以外に廊下をはじからはじまで歩くようにしました。
プレドニゾロン(ステロイド剤)の開始から、毎朝おきてすぐ体重測定をするのが日課(にっか)になりました。
それと、もう一つの日課は、窓の外をみて人の行き来をながめたり富士山をみてつぶやくことでした。
これから仕事にいくのかな?
私も、こうならなければ今頃通勤する時間かな?なんて・・・
そして、だいぶ歩くことになれてきたので1階のコンビニまでいってもいいかどうか許可をとりました。
無事にオッケーがでました。
10月28日、なんと一人で一階コンビニまで行ってみました。
それまでは、家族に車いすでつれていってもらっていたので、一人では少し不安もありましたがチャレンジです。
そして、商品をもって何とか会計まちの列に並んだのですが、だんだん立っているのがきつくなってきてしまいました。
ここで、ひるんではいけないと何だかわからない頑張りをみせて無事に
会計を終えて、コンビニを出てベンチに座って、しばらく呼吸がととのうまで休むことにしました。
そう20分くらいたって立ち上がり歩きはじめ、4階の病室まで戻りました。
ちょっとチャレンジだったなと思いましたが、ものすごく何とも言えない達成感にひたってました。
ほんのついこないだまで、痛みのためにまともに動くことができなかったのにこうして、一人で誰の力もかりずにいってこれたことにかなり満足でした。
気をよくした私
コンビニから帰ってきた私は、会計まちで長いこと立っていられないといったことがあったため、明日から体力作りをしなければと思いました。
ひとまずは、毎食後廊下を歩くことにしました。
そして、徐々にリハビリの時間を増やしていったのですが、われながらちょっとハードなスケージュールだったかなと思うほどのリハビリ生活がはじました。
私のスケジュール
時刻 | |
---|---|
6:00 | 起床 |
8:00 | 朝食 |
10:00 | リハビリ |
12:00 | 昼食 |
15:00 | リハビリ |
16:00 | 入浴 |
18:00 | 夕食 |
23:00 | 就寝 |
こうして、調子が悪くなければ毎日このスケジュールをこなしていきました。
そうしてコンビニ訪問に再チャレンジしました。
一回目は、会計の最中に立っていられなくなっていましたが今度は、大丈夫でした。
途中で休むことなく、いって帰ってこれました。
歩行が安定してきたら、つぎは階段昇降(かいだんしょうこう)です。
4階の階段をのぼりはじめて、途中で足のフクラハギのあたりがつってしまったので、5階まではいけず途中のおどりばで引き返しました。
そうやって、 一時退院までには、何とか歩けるようにならないとと思って徐々に階数を増やしていくことにしました。
ここまで、痛みはなくなる
コンビニまで行けるようになる
入浴もひとりでできるようになる
などなど、できることがふえてくると、自信がついてくるもので入院生活もまんざらでないかな?と思いはじめてました。
第23章 チクッとささるハリ
10月28日からはじめたプレドニゾロン(ステロイド剤)の副作用で、血糖値(けっとうち)が高い値(あたい)になるとのことで、
食事の前に血糖値(けっとうち)を測定することになった。
朝おきて、朝食前に指先をハリでちくっとさして、その際に出血した血をとって値をはかりますが、
痛いときと、そうでないときがあります。
ときどき、血がでないことがあって何となく念(ねん)じてみますが、「血が出ない?…出ろ!」なんて調子で、
でも最終的には、担当ナースがしぼり出すなんてこともありました。
ナースはその日によって担当がかわりますが、不思議(ふしぎ)とハリは中指にさすことが多かったです。
たぶん、右腕(みぎうで)が点滴のクダが入っていたからなのか?左手の指先になっていました。
1週間ほどおこなって、数値がよかったことからインシュリン注射の必要性はないと判断(はんだん)されました。
そのため、毎日ではなくなり月木の朝食前と夕食前後にのみに測定が変更となりました。
通常は数値が100以下ですが、やはり薬の影響(えいきょう)か130程度でした。
また、朝から昼間は170程度、夕食後(21時)220程度でした。
リハビリをしていることもあってか、 おなかはすいてました。
ただ、抗がん剤の影響なのか?食前に血糖値が下がってる感覚がすごくあって、クラクラすることがありました。
あとからわかったことですが、おなかがすく=食欲がますといったこの症状は
まさにプレドニゾロンの副作用の一つでした。
このころから、「食べなきゃ!」モードになっていきました。
第24章 入院生活3週間で考えたこと
まだ、入院してから数週間しかたっていませんでしたが、感覚としては時間がそこだけとまってしまったような気がしてました。
たぶん強い薬ものんでいましたが、それほどのダメージもなく調子がよく
入院前とはうってかわって体が動けるようになって、このくらいはへっちゃらと思ってました。
ネットやナースのみなさんからもらった情報から、私は早く介護の仕事に戻りたいと思ってましたから
移植(いしょく)後、人によっては半年で社会復帰できると聞いていたので
かなり楽観視(らっかんし)していたのだと思います。
そのため私は、まだこれからはじまる治療生活がかなり過酷(かこく)で長いものになることに想像(そうぞう)が及びませんでした。
このときの私は、自分のことでいっぱいいっぱいでした。
ただ、決めたことがありました。
泣いても何も解決(かいけつ)しないから、人前では泣かないようにしようと・・・
でも、ときにはイライラして、あたってしまうかもしれません。
みなさんは、そんな病気の家族をわがままだと思いますか?
それともだまって受け入れてくれますか?
今、治療でガンバっている方にとっては心の行き場がなくて不安で
イライラをぶつけてしまうことも多くあるかもしれません。
ただ治療の出口はかならず見つけられると信じておこらず見守っていていただけるとありがたく思います。
何より、家族や恋人、友人の存在は病を回復させるのにもっとも有効な薬になることを忘れないで下さい。
その思いを胸に、病室をのぞいてみてください。
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