はがゆい
とある日、よくあることではありますが困ることがでてきました。
どう、かぞえてみても薬がたりないと思われました。
私の数えまちがいか❓と、何度かかぞえてみたりもしたのですがやはりたりません。
つぎの通院日は15日でした。
もうため息しかでません。
こうなるともうすでに、フツフツとわいてくるしかありません。
もちろん、それはいかり?です。
まったく、どういう気で処方(しょほう)してるんだろう❗あの主治医?
皮フ科の担当医からは、『つらかったら2錠のんでもいいよ』
といわれたことを主治医につたえたはずなのに・・・もしかして回復するからこの程度だしておけばと思ったのか❓
さてはて、でももうそうもいっていられない
よくなることを願ってのこりを調整していくしかないと思いました。
そのころのかゆみは?というと手足に集中していて、
とくに踵(かかと)、足のうらの土ふまずがあたたまると
ものすごいことになっていました。
ときに、かいていることに気づいて目ざめるということを何度もくりかえしました。
時間がたてばよくなることをねがって、日々がすぎていくのにまかせました。
こういったこと、ここのところ何度となく思った気がしました。
そう、熱がでて苦しかったとき
そのときも早く時間がすぎてほしいと、思ってました。
そのねがいとはうらはらに、手先のこわばりに加えて、
足うらの土ふまずにできたかゆみのおかげで足がはれ、もはや歩くことも痛くてままならなくなっていました。
冬のこの寒いときでも、あたたまるとかゆくなるのでくつ下をはくこともなく、
服もかさねぎはせずうすぎのままとか、つねにぬいできるといったことをくりかえさなければならなかったり、
ストーブにも、もちろんジカに当たれない状況となりました。
そして、運がわるいことに
薬がわずかになってきていましたが、目にみえてよくなってきたとはいいがたい状態でした。
ただ、比較的かゆみを感じない昼間は、
くすりをのまずに眠る前に2錠としましたが、
どのような結果になるのか?には、不安しかありませんでした。
いつもとちがう
受診日の前日(14日)は、内服しないで眠る前に2錠はのまずに1錠でがまんしたせいか、
ねている間にかなりガリガリかいてしまったため、
よく朝みて、( ゚д゚)ハッ❗となりました。
からだ中が、ものすごく真っ赤にはれあがってしまっていたからです。
これには、思わず見たくない?と思ってしまいました。
薬をへらして、ガンバった結果がこれでした。
1月15日、ゆううつな通院日がやってきました。
これで入院がきまってしまうかもしれない・・・このぶんだとそうなるなと
なかば入院覚悟(かくご)で診察室の前でまっていました。
名前がよばれたので、入室してすぐに薬がたりなかったことをつたえ
つづいて味覚がもどらないこと
とくに甘み、塩味がわからなくなっている状態をつたえました。
そのご、主治医が全身を確認し、赤い部分はほとんど全身におよんでいて、
まだ水疱(すいほう)ができてないことや
自宅では生活ができていたか?といったことなどの問診を私にしていきました。
そして、なぜかそのままおとなしい主治医からは
皮フ状態がもう少し落ち着かないと、次の抗(こう)がん剤治療にはいるのはむずかしいと話がありました。
なのに、肺炎(はいえん)を予防するための薬の吸引はおこなうのだと話がありました。
ちなみに、この治療は別の部屋でおこなわないとならず、いがいに時間もかかるようになっています。
私は、その治療をおこなうことについて
『今日肺炎(はいえん)予防のための治療をやるのはどうなのか?』
やはり、長時間になるのはいまの私の体力では、むずかしいと思ったから、そうつたえました。
いつもなら、なかば強引(ごういん)に『やります❗』といった調子(ちょうし)でくるのに
すんなりと私の意見をとりいれたのには、びっくりでしたが
とりあえずは、20日に入院をしてからおこなうことで診察は終了なりました。
まだ入院までは、すこしはゆっくり自宅ですごせると、
ちょっとほっとしました。
とまらない
昨日の通院から帰宅して、やっとちゃんと薬をのめるようになったものの、
しばらくの薬不足に体がコントールをうしなってしまっていたようで、
ねむってしまえば昼間の通院のつかれもてつだってか、ひさしぶりにねいってしまいました。
朝めがさめてヒャア~?となってしまいました。
手指、足裏と『かなかりかいてしまったぞΣ(・□・;)』といわんばかりにはれあがって
動かすことができなくなってしまってました。
みかんの皮もむけないとは・・・
あれま~引き出しも開けられないぃ、
薬もとりだせない、
なおそうと思ってステロイドの軟膏(なんこう)をぬりつづけたのですが、手はかなりはれあがってしまって、
なにもできなくなってしまいました。
そうなると、外出も家事もおっくうになってしまいました。
それにそのおかげで、夜はほとんどねむれずに、ちょこちょこおきる回数がふえてしまい
おまけに肌が炎症して熱をもったことで、寒さもわからないといった状態になりました。
このごろは、真冬であっても足もうでも手も
あたためないよう、ひやすために手も足も
布団の外にだしてねむるといったことになっていましたが、やはり布団の中もじょじょにあたたまってくれば、
かゆみがわいてくるようになってしかたがなかったので、
おしみなくほとんど布団をはいでいるといったことも、日によってはありました。
はたからみたら、ただのねぞうのわるいおばさんになりますが・・・
そうやってなんとかねむれるようにと、くふうをしているのにだんだんあったまってくれば
ガリガリかいておきてしまってといったことも、
いやになるほどねむりを妨害されていることにはらがたちました。
でもまだ、季節が冬でよかったかも?
そして仕事もしてないからよかったかも?と思っていました。
これが夏のあの暑いじきだったとしたら、たまったものでない
でもこれから、その夏になるんだなと思ってゆううつにもなりました。
そして今日は、指の皮フからツメがはがれて出血してしまっていました。
ひとまず水バンソウコウでその場をしのぎましたが、
足うらの赤みは、まだひきつづいていたみがあって歩けないままですごしていました。
そして私は、自宅の入浴にある洗面所の鏡に自分がうつっても
それをみることができなくなりました。
それは、かなり自分でも精神的につらいなと思っていたじきでもあったのだと思いますが、
とある日に、洗面所けん脱衣室にたって服をぬいで入浴の準備をしていたとき
ふとカガミにうつった自分をみてしまったのですが、
その瞬間、ナミダがあとからあとからながれてきてしまってとまらなくなってしまうということがあったからでした。
1階には姑が(しゅうとめ)いたため、声をおし殺してなきました。
私をそこまでなかせた、そのカガミの中の私は以前のような肌ではなく、みるもむざんな色黒になっていたり
赤みと発疹が身体中にひろがっているといった状態でした。
私のいまの現状といえば、
がまんくらべのごとく1日の大半はかゆみの部分をかくこと、あるいはその処置におわれていて
とくに夜は、そのかゆみが本領(ほんりょう)をはっきするので
無力な私は対抗するすべがない、だからおきているしかない
かかない、かかない
となんどもいいきかせているのですが、ウトウトしてしまったらおしまいになるといった日々でした。
私にとっての夜は、かい眠とはいえず
ほぼ、しんどいだけの長い長い時間になっていきました。
このころの私は、まともにねむったということがなかったのですが、
だからといって昼間にぐっすりということもなかったのです。
それもかゆみは夜だけではありませんでしたから。
ただ、私もかゆみに対して手をこまねいていたわけではなく、
なんとかしたいと思って、ネットで情報を調べたこともありました。
ただ、どれもここまでひどい症状の情報がのせられてはおらず
解決策(かいけつさく)もほとんど見あたらず
それらしいのは、肌をまもるためには保湿(ほしつ)だったり
乾燥すればかゆくなるとのことで、これまた保湿をすすめているところがおおくて
けっきょくは保湿するしかないのか?となってしまってました。
でも私の保湿はそのとき、ぬりはじめると全身になるので
1時間をこえるようになっていました。
1日に最低3回はかならず
朝おきたとき、入浴後
そしてねるまえ
ぬるときもただぬるのではなく、あつめにぬるところと
うすくぬるところと
それぞれ区別しながらぬっていく
必要以上にぬってしまうと、逆にかゆくなってしまったり
といったこともおきやすくなってしまうといったこともあって、それだけの時間を必要としていました。
いまの私は別に仕事をしているわけでも、ましてやふつうに生活できているわけではないし
これしかやることがないといったらそれまでですが・・・?
ずいぶんなネガティブ思考だなと感じますが、このころはまさにマイナス思考そのもの
自分の顔や体がかわってしまったことへのショックが大きすぎたのだと思います。
さらにおいうちをかけるように、このところ食べものをたべても味を感じなくなるということもおきていましたが、
それが、さらにました感じがしてました。
もしかして、口びるのはしに口角炎(こうかくえん)ができていたから?とか
でも、それで味がわからなくなるなんてことないだろうにな?とか
単純に思いつくことをならべては
あーでもない、こーでもないと考えていました。
たぶんその原因は、全身におよんでいたかゆみのせいだとは思いますが、このときの私にはわかるはずもなく
ひとまず、口角炎をなおそうと考えます。
口角炎をなおすには、昔よくヤクルトをのんでなおしてましたが
いまは大人になったので、より強力と思えるR-1をのんで対処してみようか❓と考えました。
これならなんとかなるかも?
入院日まであと数日、かゆみはましているし、かなりきつくなってきている
そういえば高熱がでていたときにも同じように思っていたことがありました。
それは『朝がまちどおしい、つぎの日には良くなってるかも?一日一日、肌が再生してくればきっとよくなる・・・』
そう期待していたことでした。
また、こうしてそんな気持ちになるとは思ってもみませんでした。
そういえば、次の入院は皮膚科の医師とまずは皮膚状態を回復させるようにやっていくといっていた気がしました。
どうなることやら…
1月20日
この日は、家族におくられて病院までたどりつきました。
このところの私は、ためいきしかでなくなっていました。
というのも、正直治療がこわいとこんなに思ったことはなかったからにほかなりません。
病室にはいると、まずはいつものようにこれから私はどんなことにもしたがいますのごとく
着がえをすませます。
そして、体のあちこちをチェックするための問診やバイタルといったものをはかって
ナースと主治医がかわるがわる訪問してきます。
もちろん、主治医はあの女医です。
その日の担当してくれるナースは、私のかゆみのある部分をみるなり
『これはひどい』
そうなんどもいっていました。
とりあえず、明日から検査行脚(けんさあんぎゃ)をすることになるとのおたっしがでました。
眼科、皮フ科、レントゲン撮影、心電図
そしてつぎの日はマルク検査をし、
そのご、さいど皮フ科に診察をといわれました。
なんでこんなに?とみなさんの中で思われたかもしれませんが、
いまの私の状態は、目に涙がたまってめやにがでていて
かゆみがひどくて夜はほとんどねむれてないし
食べものの味はまったくわからないし
とにかくかゆみが、なやみのたいはんをしめているといった状況でした。
朝になってそうそうに眼科にいきました。
検査の結果は、目の機能や状態には問題なしといわれ目薬が2種類ほど処方されましたが、
皮フ科では以前にいわれた検査の件で、どうしていくのか?といったことについての話がふたたびだされました。
『やりたくない』の私の意向はじゅうぶんわかってくれてはいましたが、主治医をなっとくさせるには検査しかないのかもしれないと、
皮フ科の担当医の考えを聞かされました。
たぶん、主治医がごねたのかな?とふと思いました。
そう思っていたら担当医から
『で、皮フ検査の方向性でいることのこまかい説明は今日あった?』
とたずねられましたが・・・そんな話だされていない、またか!!
皮フ科の医師に説明させればいいという考え方だなと、そくわかりました。
まえまえから思っていたことでしたが、あの主治医はここからは私の担当領域(りょういき)ではありませんがから、とでもいうように、
まったく説明をしない、というよりことばがたりないといったほうがいいのかもしれません。
たとえば、
いまこのような原因があるので、検査をしてその結果をもとにこうしていきますよ
とか
今回は、いままでの症状からこういった検査をしますよ
まだ原因がはっきりしてなくて、協力してもらえないか?
といった、たったそれだけなのだと思うのですが、
それは今回にかぎらずのことでしたが、
患者がいくら前向きで治療をしていきたくても、主治医がそのいくえをとめてどうするんだろう?といったことがおおすぎると感じていました。
ほんとに連携していくほかの科の医師は大変だろうなと、私は思っていました。
連携って大事なんじゃないの?
自分のしらない分野ならなおさら、お願いしますの精神って必要なんじゃないの?
と私はそう思いますが、そんなこと主治医には関係なさそうです。
でも、たしかに皮フ科の担当医がいうことも無視はできない状態にはありました。
それは、このおきている一連の症状がなんなのか?をつきとめなければ
白血病の治療自体がすすまないといった段階まできつつあるという話があったことでした。
つい少し前までは、それほど白血病は進行していないときいていたのに
なぜ、ここで
それも、皮フ科の担当医からそれをきかされることになるとは・・・と不思議でなりませんでした。
『私の主治医はいったい誰なんだ!』といいたくなりました。
それに、かゆみや見た目もわるくなってしまっているといったことなども考えると
やはり、検査をしたほうがいいのかもしれないという話が皮フ科の担当医からありました。
そうやって親身になって説明もしながらこうしていくのがいいのでは?という姿勢で、
心配してもらっていると感じる診察をされると私としても、検査かぁ~仕方ないか・・・
と気持ちをかえざるをえなくなりました。
そう思ったら、検査をとそうそうに皮フ科のとなりの処置室にて、皮フをとることになりました。
ふともものつけ根から20センチほど下あたりの2ヶ所、ならんだかたちで麻酔をしてとりました。
ですが、皮フがかゆみのせいか状態がわるいこともあってか、
それと、表面は麻酔のききがわるいのか
なにより痛いなんてもんじゃなかった!と思ってしまいました。
しばらくおわるまでは、がまんはしましたが、ほうごうされるまでは気が気じゃありませんでした。
皮フ科の担当医の『おわりましたよ』のあいずがあるまでは、私はすごい顔してました。
そして、この検査結果は病理検査(びょうりけんさ)は札幌(さっぽろ)へおくられることから
2週間はまつことになるとのことでした。
ただ、皮フ科の担当医によると早急に知る必要があるといって、
病院でやれることは検査して、すぐにでも皮フ科での治療をはじめたいといわれました。
私はなんてこころづよいことをいってくれるんだろうと、心底思いました。
あれだけ私が検査をぐずったときも、強制的(きょうせいてき)にすることはせずに
話をききながら、ちゃんと説明もしてくれて納得をえてから
検査をするといった方向性にもっていってくれたこと
にもまして白血病の進行もしていることだから、早期に治療をしたほうがいいと判断してくれたことに私は感謝しかありませんでした。
いままで、医師といわれるのは血液内科の主治医しかおらず、その主治医にたいして
私は対応につかれきってしまって、どうすることもできないといった状態でいたところに
まさに助っ人といえるほどの存在があらわれたことに、安堵(あんど)しかありませんでした。
ほんと、この皮フ科医でよかったと口にだしてしまってましたから・・・
主治医とは大ちがいだなと、これはこころの中でつぶやきましたが、
そしてこうもつぶやいていました、それは『これですこしは、今夜は寝むれるかな?』といったことでした。
たすけブネ
私の皮フはいったいどうなってしまったんだろう?
このところはそればかりを考えていて、
白血病の治療なんかもうどうでもいい、とさえ思ってしまうほどの気持ちになってしまっていました。
それでも、皮フ科の担当医の根気づよくせっしてくれるその姿勢にすくわれた気がして
ちょっとまえむきに考えるきっかけをくれる存在になったことは、いうまでもありませんでした。
長いことわからなかった、かゆみの正体がいよいよわかるのだと思うとホッとするか?ときかれたら
私としては、不安しかないと答えたかもしれません。
でももし、正体がわからなかったら❓
もし、なおらずにこのままずっとだったとしたら❓
とにかく2週間ごには、わかる
ただ、今回は皮フ科の担当医もいてくれるし、大丈夫大丈夫と
そう、自分にいいきかせるしかありませんでした。
そう、なにごともポジティブに考えないといけません。
どんな結果になろうとも、私はこの体とつきあっていくしかありません。
ほんと、この皮フ科の担当医がいなければ
私は、主治医のおかげで白血病の治療もなにもかもをあきらめてたのかもしれません。
私にかぎらず、そうして病をかかえて医師との関係性の中でなやんでないている人は少なくない思います。
そんな方がなみだを流さないでいられる、不安をきいてくれるそんな方々が病をもった人のそばにおおく存在してくれることを願っています。
さぁ、いよいよこのつぎはかゆみの正体がわかっていきます。
どんな病名がまっていて
どんな治療になるのか?
はたして、白血病の治療ができてくるのでしょうか・・・
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