私がなった難病もどきの病の正体、あなたにもしってほしいその本性

豊川稲荷(妙厳寺) 霊狐塚 ブログ

さて前回は、かゆみの正体をしるための検査をおこなって

その結果をまつことになっていましたが、

今回は、それがわかって

それからどんな治療がおこなわれ、どうじに白血病の治療もおこなっていくことができるのでしょうか?と

そういった流れになっています。

では、どうぞごらんください。

ひそかにひまつぶし

脱皮

引用元

このところずっとはなれないでいるかゆみですが、

なにより夜をむかえるのが、これほどイヤだと思ったことはありませんでした。

毎夜毎夜つづくこのかゆみ、ほんとにしんどい?としかいえないものでした。

23時ごろにタリオン(こうヒスタミン薬=かゆみどめ)をのんでねついても、

午前1時ごろにはかゆくておこされてしまう、

しばらくそのかゆみと格闘(かくとう)して、気分転換(きぶんてんかん)にトイレにいったりして

かゆみをごまかそうとしたりもしました。

でも、どんなに気をまぎらわせようとかゆいものはかゆい

けっきょくトイレの中で背中からワキにかけてバリバリかく、

ベッドにもどりまたさらにかく、かききって目をとじるがねむれない

しかたなく、タリオンをのんで薬が少しでもきくのをまつ

あ~ウトウトしてきた、ねむれそう?

そして寝ついたなと思ったら、1時間もしないうちにまた目があいてしまう

そこから、1時間かんかくで目がさめては目をとじてを朝7時ごろまでくりかえすといった状態でした。

はっきりいえば、ほとんどねてないといった感じです。

なので、ひるまはベッドに横になろうものならすぐねいってしまうといったこともおおく、

なるべく、そうならないように必死でベッドの上でおきていました。

そんな中であるていど、かゆみがおさまって落ちついた部分がなんとなくうずくことに気がつきます。

そのころから、どうやらはじまったようでした。

耳、下腹部、胸、尻、うで、手、頭皮、太もも、下肢、足とじょじょにひろがっていきましたが、

全身にわたって少しずつ皮フがはがれていて

ことさら手や足のうらには、まるであげたての春巻きの皮がまかれているかのように

固いものでおおわれているといった状態になっていて、動かすのがとても大変になっていました。

まあ、入院中はほとんど何をやるといったことがない、

つまり暇(ひま)なので、私はじっとながめていた手のひらの皮を

うまいこと、とれればうごかしやすくなるのではないか?と考えて、

ハサミをつかって、はがれはじめている皮のところから少しづつカットしていくことにしました

とてもいい暇つぶしと思いながら、ちょっとたのしいな?♪

と思ってましたが、そのやりかたにも注意が必要でした。

新しい皮フができていれば、うまいことはがれてきているカ所は

はがしやすいのですが、そうでないとむいてしまったあと

出血してしまう

なので、細心(さいしん)の注意をはらってむいていきます。

ただ、ここでこれだ!と思えるいい方法があったのでそれをやってみることにしました。

それは、その皮の部分を水でぬらすことで

それをすると固かった皮がやわらかくなって、ハサミできりやすくなるといったことでした。

たのしい?たのしい♯、

そう私は思って1時間以上は集中して、午前も午後もはがせないところはまたつぎの日も

といったように皮むきに時間をさいていきました

でた

正体

引用元

入院中のいい暇つぶしになると思っていた皮むきでしたが、あるていどむいてしまえば、残りわずかとなってしまい

そのわずかは、これをむいたらやばいぞ!

血がでるぞ!

という感じがしたので、しばらくながめておいておこうと思ったのでした。

でもながめていると、むきたくなる

その気持ちをおさえながら、そのときをまっていました。

そんなところで、1月21日にどうやら先日とった皮フの検査結果がでたようだと

主治医が私のところにやってきて、

『今回のかゆみの原因がわかりました』とそうつたえてきました。

さてその正体は?

正式名称(せいしきめいしょう)はDIHS=ディースという言葉だけ、

いつものことだな思っていましたが、専門用語をさらにつらつらとならべたて

きわめて例外の症例(しょうれい)と主張しつづけていました。

まったく、この医者はなんなんだいったい?と思いながら

くわしくは聞く気にもなれずに、自分でしらべることにしました。

ネットはこういうときに便利だなと思いながら、みてみると

なんと難病(なんびょう)になりえるほどの文字・・・マジか

でも、確実にそうといっているわけではなく厚労省の難病指定にも、

その名はありませんでした。

近年、ではじめたあたらしい薬疹(やくしん)の一種で、日本語では薬剤性過敏症症候群(やくざいせいかびんしょうしょうこうぐん)といわれています。

ほかにたようなものに

中毒性表皮壊死症(ちゅうどくせいひょうひえししょう)、スティーブンス・ジョンソン症候群といったものがあります。

なにしろこの薬疹はまだしられていないことがおおいとかかれていてはいましたが、

むずかしいことばでかかれていたものは以下になります。

DIHSとは, 抗けいれん薬などの比較的かぎられた薬剤により引きおこされ, 発熱や多臓器障害(しぞうきしょうがい)をともなう重症型薬疹の1つである。薬剤投与開始から3週間以上たっておくれて発症し, 皮疹は紅斑丘疹型(こうはんきゅうしんがた)時に多形紅斑型(たけいこうはんがた)にはじまって紅皮症(こうひしょう)となることがおおい。皮しんだけでなく, リンパ節腫脹(しゅちょう), 発熱, 異型(いがた)リンパ球の出現, 好酸球増多(こうさんきゅうぞうた), 肝障害, 腎障害などの症状をみとめ, 原因薬剤中止後も, しばしば皮しんや臓器障害が長びく。近年, 発症後2~4週後にHHV-6の再活性化を生じることが判明し, 薬剤アレルギーとウイルス感染症の複合した新たな病態として認識されている

なんのことをいっているのか?といった感じですが、ようするに

重症のかゆみにみまわれて、リンパ節がはれたり

熱がでたり

肝臓や腎臓がやられとしまうといってますね。

ただ、今回の主治医の説明には薬疹という言葉はいっさいきかれませんでした。

ということは、発熱もウイルス説ではなく薬疹によるものだったということになります。

ではその原因の薬は❓となるのですが、フェブリック錠(尿酸薬=にょうさんやく)

のみはじめたのが10月、それで発症はしたが

どうやらそのごに使用したステロイドによって、いったんは症状が消失し、

また再発したという二峰性(にほうせい)をもっていたと

そして、今後はその治療の必要もあるといっていました。

二峰性ってなんだ?と私の中でわかりませんでしたので、しらべてみました。

二峰性とは時間の経過にともなう状態や数量の変化がつの高まりをもつこと。 医療の分野で、発熱などの症状が一度高まり、おさまりかけたのちに再び高まることをさす。

ちなみに治療としては、以下のことがかかれていました。

ステロイドの全身投与,あるいはステロ イドパルス療法(りょうほう)を用いる。ステロイドの減量は慎重(しんちょう)をきさないと,皮しん,発熱や肝機能障害がしばしば再燃(さいねん)することがあるので注意を要する。 また症例によっては,血中 IgG 値低下を認める例もあり,あわせてヒト γ グロブリン製剤 の投与も考慮されている.

で、主治医がいっていたのは、これから3日間はステロイドを点滴で注入(ちゅうにゅう)して

のんでいるステロイド薬はじょじょにへらしていくといい、

肺炎をおこしやすくなることから、吸引薬を1か月に1度おこなっていくということでした。

なんだかおおごとになってきたぞと、私は思ってしまいました。

これって白血病の治療どころじゃないんじゃないの?

ほんとにこの主治医で大丈夫なの?

無理なんじゃないの?

しかも、例外、例外の症例ってずっといってたし

でもお勉強はしているはずだよね?

私としては、そうそうに治療にとりかかってある程度は順調に病気をなおしていけるのだと、

そう思っていただけに、

今回のこの薬疹の件で、そう思うようにはいかないんだなということをどのように解釈すればいいのか?

はっきりいって、いろいろ考えてみたもののなかなかうけいれることができませんでした。

いったい何がどうなって、こうなったのか?

まったくよくわからないと、混乱(こんらん)したままでした

ちゃんと説明してくれないとわからないよ!と思いながら、その日その日がすぎていきました。

とにかく

点滴

引用元

はじまり

いよいよ、ステロイド薬が投与される治療がはじまりました。

皮フ科の担当医が、もう一人男性の医師をつれてだって2人で病室に訪問してきました。

私と話すあいだ、2人がきいたことを検討(けんとう)しているようすから

このお二人は仕事ができそうな会話をしているなと、感じていました。

私としてはとりあえず何とかしてほしいと、こころの中で思っていました。

それからは、毎日皮フ科の担当医が、ようすをみに訪室(ほうしつ)してくれるようになりました。

主治医とは、比較にならないほどの対応と安心した会話がなされていきました。

担当からは、『もっともしつこい、厄介(やっかい)なものにつかまってしまいましたが

時間はかかりますが元に戻ることができるようにしていきましょう』と話がありました。

また日々、私の状態をみては症状が落ちついてきていることに

ほっとしているようすがなんども見うけられました。

あいかわらず夜は眠れていはいませんでしたが、そうして皮フ科の担当医が訪室してくれて

話をきいてくれたりこたえてくれる、ただそれだけでもほっとしている私がいました

そうしてステロイド薬がなじんで、きいてきたころ

足のすねのあたりに、ニキビらしきものができていることにきづきました。

そういえば、このお歳になるとニキビとはいわないようで、

歳をとってからできるのはふきでものとかいうんだと、だれかがいっていたような・・・

ニキビときくといつもそのことを思いだしてしまうといったことがよくありました。

どうやら、ステロイドのぬり薬を使いつづけると、その副作用でそういったできものができてくるということでした。

このタイミングで皮フ科の担当医がいっていたことばで、私が気にいったことばがありました。

それは『あとは日薬(ひぐすり)だね』といっていたことでした。

いみはなんとなくニュアンスで、わかったのですが、

ちなみにしらべてみると

日薬」は確認できなかったが、「日にち」という言葉はあって「ヒニチグスリ」日数をへると、と同じ効果があること。 日数がたてば自然とよくなること。

そうかかれていました。

私の頭はしばらく、この日薬にはまっていました。

ちなみにこのことばは、そのごの私の治療生活のなかでかなり意味のあることばとして

ずっと残っていくこととなります

明日になればよくなる

明日になればかわってくるはず

そう信じて

そんなことばをくりかえしていたことも、そのことから影響をうけたのかもしれません。

でないで〜

1月21日から、ステロイドの点滴が開始されてはいましたが、かゆみがすぐにおさまるということはありませんでした。

でも、皮むけは全身に拍車(はくしゃ)がかかっていきました。

皮がむける、一瞬あたらしい皮ができてふるい皮がむけるのだからよろこばしいと思えるのですが、

これが、その皮がむけるさいにうずくようなさらなるかゆみをうむという、

これまた問題になってきて、さらにねむれなくなる原因になっていきました。

身体中の皮がむけるのは、これまたすごい光景でした。

介護の仕事をされたことがある方なら、そういったことも目にしたことあるかと思いますが、

服やくつしたといったものを高齢者の方にぬいでいただいたときに、

粉吹雪(こなふぶき)のような皮がパッとちったというおぼえがありますでしょうか?

なんと私は、そのときその状況にありました、しかも大量に。

なので、毎日お掃除(そうじ)にはいってくださっていた方には大変ご苦労をかけてしまったと

もうしわけないほど床が白くなって、皮のゴミがでていたと感じていました。

このころもまだ、手の春巻き皮はぶあついところはむけきっていません。

なので、じゃっかんまだ手の自由はきかないままの状態でいました。

それでも、最初のころとくらべたらだいぶ動けるようにはなっていました。

なので、しばらく入浴もしていないので、そろそろカミの毛を洗いたいとも思っていました。

そう今回の入院から、1週間がすぎていました。

今日はお願いごとをナースにしてみました。

そう『カミの毛を洗いたい』と、

しばらくあらっていなかったカミの毛はだいぶつやがなく、ぺっちゃんこになって

洗わないとまずい状況になりつつありましたから、対応してもらえてたすかりました。

こうして、何ごともなくいつもはひとりでできていた入浴も、できなくなると

ひさしぶりにはいれることが、ほんとにありがたく気持ちがいいことにあらためて気づかされるのでした。

ただ、ひとつ気になったことがあって・・・

それはぬけ毛がちょっとおおかったことです。

薬のせいなのか?

それとも白血病の治療がはじまって、グリベック(抗がん剤)をのむのを25日からはじめたからなのか?

とりかかりは朝夕とも1錠ずつ

1月29日からは2錠ずつになるということでした。

たぶんその副作用か?と思われるがだるさと胸を圧迫されている感じがしてました

あまりにぬけてしまったので、こんなに早くにそうなるの?

私はもうそうなってしまうの?と

まだ、もう少しあとでいいのに・・・でもどうせぬけてしまうことはわかっているのだけどと

そう思っていましたが、ナースにきいてみると

ステロイド薬の効果で、皮フ状態がよくなりつつあって皮がむけてきていることが

頭皮にもおきていて、その影響では?ということでした。

ここで1月28日にまち望んでいた皮むきが完了し、手が自由になりました。

よし?これでひとりでも入浴できるぞ❗

といってもシャワー浴ですが、夕方自力ではいることになりました。

お湯をだして、ちょうどよく調整し

いざ足にかけてみましたが・・・ひゃあ”~痛い!!

その原因は、皮むけの肌

思った以上に肌がやけどをしたときのように反応をして、ヒリヒリとうなってました。

あたたまった肌は、このうえなく熱がこもって痛みがましてしまってました。

私はいそいで病室にもどって、ワセリンとステロイドクリームをぬりまくって

ひといきついたころやっと、痛みがやっとおさまってきました。

つぎもまたこうなのかな?

それを思うとはいりたいけどこれじゃ遠慮したくなるな、とそう思ってしまいました。

でも、ナースからは感染予防のためには清潔(せいけつ)にしないと

といわれているので、そのためにははいらなければなりませんでした。

台所事情

お金
https://www.photo-ac.com/profile/1192836

引用元

どうにもこうにも見つからないと私は、タブレットとにらめっこをしていました。

今回の病の正体はわかったにせよ、この病気がついかされたことで

私の入院はかくじつにのびて

使用する薬や検査もかなりなものになっていくことになるだろうと、

これはほんとに、どうしようとあせる気持ちとむきあうしかありませんでした。

それは、治療費用(ちりょうひよう)のことです。

いったいいくらになるのだろうか?としらべてみても、そんなのどこにものっていません。

いまの私のこの状態は、いってみれば無職(むしょく)です。

これまでの生活もいっぱいいっぱいで、とにかく私は大丈夫と根拠のないことをいって

よゆうがでてきたら保険やなにかにと思っていましたから、お金の面ではカツカツの状態でした。

ネットで何をしらべていたのか?というと、もちろん補助金や傷病手当といったものだったり

助成金といったものでしたが、どれもあてはまらないといったことが

情報をみてわかりました。

私の場合、血液のガンになるわけですが

ガンはガンでも、皮フの上にできあがるようなものつまりは上皮癌(じょうひがん)でないとダメとかかれているものがおおく、

そうでない白血病は助成金はもらえないこと

仕事も、動けなくなってやめてしまったために傷病手当ももらうことができないこと、

そういったことをしって肩をおとすまもなく、市役所や年金事務所からの支払いの請求書がとどく

といった状態にありました。

働くこともできない私にはらえるわけがなく、夫の方も別のしはらいもあり

どうしよう、どうしようの状態

ネットをつかって仕事をしようか

と求職をしてみるも、はたして時間をとってできるのかどうか?と自問自答する

いまの私はパソコンもそれほど得意(とくい)というわけでもなくしかも、

もしなにかあれば、その時間は治療の時間にあてはまってしまう

なので、時間での就業(しゅうぎょう)をいわれてもできるかどうか?はやはりむずかしいといえます。

でも、自分のあいた時間でおこなえるか?といわれれば

そんなよゆうがあるのか?と

考えつづけるしかなく、しかたなく途中からは、実家の母に相談するしかありませんでした。

そして、その話をして母は私のために決断をしてくれることになるのですが、

その決断とは、母が定年をすぎても私のために働いていてくれるといった状態になることでした。

でも、私も母がそこまでしれくれているのでやれるべきことはやろうと

そう思っていたところに市民税と年金のしはらいとやらの請求書がきて

いっかつばらいの金額をみて、『はらえるわけない!』と

それで、電話をかけまくり

ほんとにしらないことがおおすぎだなと思って、

市役所にも年金事務所にも、それからなんどもなんども電話をかけてきいては、

書類をかいて郵送(ゆうそう)して

そういったことをくりかえしていきました。

でも私はこうして、自分でしらべてなんとかしようと思ってましたが

そういったことについては、誰もおしえてくれることがないといった状況ですごしていましたから

まあ保険にはいっていなかった私がわるいといえばそうなんですが、

治療費について病院で相談できる人がいれば、また患者の負担もへるのにと思ったこともありました。

ちなみに何をしたかという内容ですが、市民税年金も減免制度の申しこみ、高額医療制度の手つづきをおこなって

なるべく金銭的な負担がないようにと、申請をしつづけたといったことになります。

これは、私のこの病が長期化すればするほど

つみあがっていく問題になっていくのだと・・・おちおち治療もしていられずに思わず、

こんな医師との関係性がうすっぺらい状態なら治療はしなくていいから、

私を自宅にかえしてくれればいいのに!と思うようになってしまいました。

でもこうなってしまったのだからかんねんして、治療しないといけないのだと、

もはやもどることはできないのだから、こんなんでもがまんがまん

とも思うしかありませんでした。

ねがう

拝み地蔵
https://www.photo-ac.com/profile/879533

引用元

ネットの情報で、薬疹の症例の写真がいくつもあって

なんどもみて、私の状態と比較してましたがDIHSの写真はのってはいませんでした。

でも、ほかの病のとくにスティーブンス・ジョンソン症候群の方の画像は

みるのもせつなくなるほどの状態のもので、

それを思えば、私のこの状態はそれでもましなのかな?と思うしかありませんでした。

(いま上記にあげた症例の画像をのせようか?とも思いましたが、あまりにもすごいので見たい方は、こちらからどうぞ?画像を見る)

でもかゆい

このかゆみにしたがって、ずっとかいていったらそのうちどんな見た目になっていくのだろう?と

目をそむけるような状態になったりしないだろうか?

体はそうなったとしても洋服でかくすことができるが、顔がそうなってしまったら

いざそうなったら、やはりショックなくしてはすごせないだろうとか

とにかく、なにごともおさまってくれればと願うばかりでした。

でもいまのこの段階では、かゆみがかくじつにおさまったとはいいがたい状態にあって

そのうえこの皮むけで

どれほどのかゆみをこれからしることになるのか?想像がつきませんでした。

さてここで、みなさんにご質問です。

もしあなたがえらぶとしたら、どちらがいいですか?

  1. かゆみ
  2. いたみ

どちらになりましたか?

私はほんとにかゆみのつらさを思うと、いたみの方がかなりましだと思ってしまう

それほど、いまのこの状態からのがれたいというのもありますが、そういう思いがつよかったです。

ゆいいつポジティブに考えるとするならば、やっと治療がはじまったこと

あとは、皮フ科の担当医がこれまた積極的にかかわってくれていることかなと

そのときは薬疹の、それもなおるかわからないとされている病名をきかされたショックの方がおおきくて

なかなかポジティブにはなれませんでしたが、

皮フ科の担当医のおかげでだいぶ私は、精神的にはすくわれたので

やはりむずかしいとされている病ほど、ひとりの医師だけでかかわるのではなく

専門分野同士で情報を共有しながら、治療をすすめていってほしいと

そのうえでは、プライドもたてわりも関係なく・・・といっても

どこの医師の現場でもむずかしいのかもしれませんが、患者をなおすためには必須なことだと私は思うのです

ほんとは大声でさけびたかった、

泣けるだけなきたかった、

でも私は、そうはできませんでした。

たぶんちっちゃなちっちゃなプライドだったのかもしれません。

でも、ほんとうにいつまでつづくかわからないこの病に、私はもうすでにギブアップ寸前でいるのかもしれません

そんな私で、この難局(なんきょく)をのりこえていうことができるのでしょうか?

次回は、ステロイド治療がはじまってかゆみがほんとうにおさまるのか?

主治医や担当医との関係もどうなっていくのか?

そういったお話になるかと思います。

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