患者になった私が自然と行っていた、自分を保つためのワンスキル

招き猫 ブログ

前回は、病の正体がはっきりして治療がはじめられたといったところでした。

ほんとうに、この病とむきあっていかなければならないのでしょうか?

それもあたらしく病がついかされて

私にとってはこれって無理なのでは?と終始絶望感(しゅうしぜつぼうかん)でいっぱいでした。

今回は、そういった気持ちのなかですすめられていく治療が

私にとってよい方向にむかっていくのかどうか?

そして私がどういったことを考え、思っていくのか?

そういったことををかいていこうと思っています。

グリベック

パジャマ

引用元

1月29日から、グリベック(抗がん剤)が朝夕で4錠ずつにふえましたが、

おきるべく副作用がよくじつからはじまっていきました。

1月30日夜に顔面がけいれんしているように感じたといったことが、

よく朝からは手でふれてもさわられている感覚がなくなっていました。

そして、顔全体がむくんで舌にも変化がありました。

舌の先のほうが膜(まく)がはったようになっている感じです。

ちょうど手や足と同じように皮がむけて、あたらしい皮ができてピンと皮がはっているといった感じです。

それが影響してかどうかはわかりませんが、わからなかった味覚がもどりはじめているような気がしました。

これも副作用になるのか?体がとてもだるいと感じる、

薬をふやす前まではそんなことはなかったのに、ふえたことでそれがあきらかにはっきりとしてきていました。

ただ、夜間にねむれないため昼間、ベッドによこになってしまうことがあって

こうなると夜間がますます目がランランとしてしまうことになるため、

よし階段にいこう!となりました。

階段とは、いつもの階段リハビリのことです。

25日から、階段昇降にとりくむことにしましたが

これがきついきつい?、

でも、それよりもっとやっかいなことがありました。

体をうごかしたことで、体があたたまってしまってかゆみがましてきてしまったことです。

それと、ヒザとパジャマがすれて痛みを感じることもありましたが、

それらを気にしていると長い夜をねむれないで過ごすことにもなるので、

思いきり体を動かしてつかれて、ねむれる方がいいと思ってつづけました。

1月31日の夜かゆくてかゆくて、

いままでかかなかったきれいな上半身背中にまでかく手がいってしまい、よく朝おきたらまっかっか

これまた2月2日にも、これまたガマンしきれずに今度は両手の甲をかいてしまいます。

それはやはりあたたまると、かゆくなることからくることだということが前々からわかっていたことなので、

それにかくことで皮フがダメージをおって熱をだすので熱くなるため、

なるべく室内では、皮フをひやすためにノースリーブですごしていました。

ただ、母がかってくれたパジャマを少しはきてみないとわるいなと思ったときもあって

きてみたもののながくはつづきませんでした。

で、この真冬に私はしかたなくパジャマをぬぎすててノースリーブですごすことに、

もちろん、いままで経験したことはありませんが

こよみの上とはまったく別の季節をすごしているかようになったのでした。

というのも2日のその日からのかゆみは、グリベック(抗がん剤)の影響なのか?

それとも、あたらしく着たパジャマのチクチクとした着心地(きごこち)のせいか

それとも汗をかいたからか

いろいろ原因をさがしてみたけれど、そうやって考えていると

かゆくなってかかないでと思ってガマンすればするほど、気分もこうようして

とてもねむる状況ではなくなってしまいました。

しかたなくいつものようにタリオンをのんで、ねむれるかなと思ったら

めがさめて時計をみると夜中の1時、さいどタリオンをのんで

あとは1時間のかんかくでおきてはめざめてをくりかえしました。

こんな状態がいったいいつまでつづくのだろうと、思いをめぐらせたりもしましたが

考えれば考えるほど胃が痛みだしました。

このところ、鼻をかむと水分をふくんだかたまりが1つとびだしてくるようになっていました。

そして、入浴中に皮フのヒリヒリ感が日をかさねるうちにおちついてきているように感じました。

それと足のうらに違和感(いわかん)があって、ちょっとのぞいてみたところ

これまた手のひらにできたものと同じような春巻きの皮ができあがっていたので、

これまたいまの私にとっては、とっておきの暇つぶしになるなと思ったわけです。

みつけたときは、そのうちどうにかなるだろうからほっておこうと思っていたのですが、

みると、気持ちがうずいてしまい

やがては、手のときと同じようにハサミをもって全集中できりはじめていました。

しらせ

聞いてしまった

引用元

この病のことをしってからの私の時間は、ほとんどがかゆみにさかれていくことになっていましたが

かなりひどい落ちこみになるといったことは、さけられていたのではないか?と思っています。

というのも私は20代でうつ病を発症して、ついこないだ倒れる少し前までは

パキシルをのんでいたからです。

この病になって、もしかしてこの病がふたたび顔をだすのではないか?

もしでてしまったら、たぶん私は今の現状からかんがえられることとして、

パキシルをのんでいない状態では

自分で命をたとうとするのではないか?と思わずにはいられませんでした。

ただそうおそれていたものの、日数がたってもそれほどの存在を感じることもなく

すごしていられたということは、

完全にうつ病からだっしたのだ、ということをしる機会(きかい)にもなりました。

ただ、そのひどいおちこみがなかったことを

かげながらささえてくれていたのは、家族や友人の存在もありますが

毎日気にかけて皮フ科の担当医が訪室して、みてくれていたからかもしれません。

21日、ステロイドの治療が『おわり』ということになり、

皮フの状態はだいぶよくなってきたのでよろこんでいました。

そんな中、よろこびにひたっている場合ではないことを耳にします。

それは、2月から担当してくれていた皮フ科の医師が移動になるということでした。

気づいたのは、そういえば年度末だということ

この時期はなにかと人事異動(じんじいどう)がはじまるときでもある、

そしてそのあと、担当者が交代するといったことで、

皮フ科の担当医から朝の訪室のときもうしでがありました。

そう、先日そういえばいっしょに私の部屋に訪室してきていた男性の医師、

どうやらその医師がひきつぎをして、私をこんご治療していくとのことでそのとき話がありました。

不安はありましたが、そうしてちゃんと顔あわせをしてくれたこともあって

ひとまずほっとはしました。

そして、このあと先日の検査のあとの抜糸(ばっし)もその医師が2月にはいってからしてくれるということをいわれました。

かなり心配もしてくれ、ときに説明もタイミングよく

また訪室もかかさずしてくれるといった、

この担当医のおかげで私はなんどとなく、気持ちを立て直すことができたことかと。

この皮フ科の担当医がいなくなることはそうとうなショックでしたが、病院の方針なのだからしかたがないことと

そう受けとめるしかありませんでした。

2月1日、皮フ科によばれて診察室へいくと

いつもならあの担当医の先生がむかえてくれていた部屋に

あたらしい医師がまっていました。

その医師は若かいかな?とは思いましたが、話し方もしっかりしていて話しやすく

おちついて診察をうけることができました。

また本日抜糸もおこなってもらえて、まえの担当医がうまく縫合(ほうごう)してくれていたためか?

とても目立ちにくいキズにみえました。

あたらしい担当医からは、

とりあえず、プレドニンをふやして経過観察をするほうがいいのではないか?といった内容の話がありました。

皮フの状態がよくなってきたことには安堵(あんど)しましたが

私にはこれでおわりとはどうにも思えませんでした

ただ皮フ科の医師としても、たぶんめったにお会いすることのない病だと話していて

ということは、ここからはほんとに手探りな状態になるのだなと、

新しい担当医にいわれたときに、私なりにそう感じていました。

のんき

おのれぇ

引用元

さて今日はどんなかな?夜はかゆみが、おさまっていたという感じでしたが・・・

私が懸念(けねん)していたことが、やはりおきてしまいました。

そう一度はおさまったものが、さいどぶりかえしてくる

再燃(さいねん=おさまっていたことがまた問題になること)がおきてしまいました。

そのため29日からはじめていたグリベックはのむのをやめるようにいわれ、

皮フ科の担当医からは、この病のコワさやむずかしさ

なおるまでに時間がかかることなどの話がありました。

とくにあたらしい薬については慎重(しんちょう)に使用していかなければならないということ、

いまの私の体は、なににたしても反応するようになってしまっていて、

とくに口からはいるものについては、過敏(かびん)な反応をしめしてきてしまうと

でも、皮フ科の担当医からは、

なおしていきましょう

という言葉がもらえました。

私はそのときにそういってもらえて、

どんなにうれしかったことか、

それに心強かったことか、しれないものがありました。

ちなみにグリベックをやめるということは、白血病の治療をストップするということでもあるのだ

ということもうけとめなけばなりませんでした

少しひと段落だなと、ホッとしたのもつかのま

29日からあたらしい薬をはじめるといった主治医の治療方針(ちりょうほうしん)がだされました。

またヒトモンチャなの?

私としては、それはどうかな?

はじめるのはまだはやいのでは?

もう少しまったほうがいいのでは?

というか、皮フ科の治療方針とちがうし!?と思っていました。

それでも私は口にださず、『ならやってみな!』と思っていました。

そして、やはりその予感は的中(てきちゅう)してしまいます。

まだステロイドの治療もほどほどのところに、あたらしく薬が体内にはいることで

体がうけとめきれないだろうな?と

まさか主治医は、そもそも治療の経過の見通しができないのだろうか?

しろうとが考えても、それはまだ無理だろうとすることでもチャレンジしていく

あるいみコワイものしらずとでもいうのか?

おかげで、ねむっていてくれたはずのかゆみがおきてしまうことになたわけで。。。

あ″~またまっかっか?

ここでほんとうならば、ステロイド薬をふやすといったことがなされるはずとおもいきや

おこなわれない

でも、やっとおもい腰があがったのはなんと3日後という状態でした。

もし、これが命にかかわることだとしたら?

まだ私は死にたくない、

プレドニンはいままでのんできて、しかも点滴もおこなって私にとってきいている薬だったのだから

それを使うのが一番いいと思うのですが、

なにを思ったのか?何日もすぎるといったことになったわけです。

そのため、私の中からはフツフツとわきあがるものが?

ほんとにあまりにも行き当たりばったりの治療だったので・・・がまんなりませんでした。

このときの私がおさえきれなかったいかりは、

いまにはじまったことではなくつみかさなったものが、ここででたといったところでしょうか・・・?

いままでかなりガマンしてきたのが、不思議(ふしぎ)なほどのことでした。

せっかく、やっとそこから脱出できたと思っていたのに!

またはじまるの?このかゆみ・・・

『ん〜?患者を何だと思ってるんだあの主治医は!』

といいたいのをがまんしながらおさえておさえて、と思っていましたが

2月1日、朝いつものように訪室した主治医がグリベックの中止をいいにきたさいには

そのいかりは、おさえることができなくなっていました。

主治医にたいして私はこういいました。

『この皮フの治療については、皮フ科に一任(いちにん)してほしい』

とそうもうしでをしました。

夕方、主治医が白血病の治療の再発についてなんどもしつこく話をつづけたため

もう、2度目の私のいかりの爆発(ばくはつ)?がおきました。

主治医にたいして、

『いまのこの段階で何を優先(ゆうせん)するのか?ということをわかっていないのではないですか!?

私はいまこの状態をなんとかしてほしい

といままでそこまで強く、はっきりとした態度をしめしたことがないほどのことばをいってしまったのです。

もう私としては限界だったのかもしれません。

主治医の反応は?というと、何をいわれたのか?といった表情でかたまっていました。

そしてつづけて私は『1月22日にも夫からもいわれてるはずではすよね?』

ともつけくわえていた。

じつは、夫も私の状態から主治医にたいして皮フ状態をなんとかしてくれと

そうお願いしていたという話を事前にきいていたので、

そう主治医に問(と)うようにしたのです。

その様子からみても、わかっていないようなそぶりだったため

この人いってもだめなのかよ!

とよけいにイライラすることとなってしまいました。

ここまで、よんでいただいた方で

なぜ私が、これほどまでに皮フの治療にこだわっているのか?

白血病の方がよっぽどやっかいなんじゃないか?と、

そう思われた方もいらっしゃるかと思います。

そのころ私が思っていたのは、白血病の方は検査もなにもかもやって、

ある程度の治療法はわかっている、

そして検査の結果、まだゆるやかな進行で

それほどスピードアップしていないこともふくめて、

少しよゆうがあること、

それにたいして、ディースの方の治療は

これがいいのでは?という治療法がさだまっていない

なおるかどうかもさだかではないもの、

であれば、どちらが不安か?といわたらディースについてとなる、

でも、主治医は皮フ科の担当医の話とはちがうことをはじめようとする、

もう少し考えて皮フ科の担当医と話をして、協力してやってもらいたいと思っていたのに

そうしてくれない主治医にたいして、

どうにもならない

解決もされない

対処もされない

すべてがされていないと、不信感しかなかったのだと思います。

もしも、このときもっとちゃんと私と

そして、病にむきあうことがあったならことはもっとスムーズに

いっていたのかもしれません。

このあとの私は、本格的にはじまったかゆみが再燃したのと

主治医の態度にも限界を感じて、ますます気持ちをおとしていきました

まっただなか

夜明け

引用元

この数か月、なんども思っていたが

ほんとにこの主治医は行きあたりばったりではなく行ったきりだな・・・

まるで素人(しろうと)か、なにかか?と思うくらいの治療をしているなと思って

イライラしてがまんなりませんでした。

いまの私は、1日のたいはんは

ぬりぐすりをぬることに時間をついやして

夜はねむれないし、ゆいいつの楽しみの食事についても

まったく味がわからなくなっているといった状態

そして、鼻水もつくれないでダマになったかたまりがでてくるといったことがおきていて

こういった治療にたいしても、なにも変わらず答えがないことにたいして、

感情をおさえて冷静にするといったよゆうは、ほとんどありませんでした。

そんなときです、もっともおそれていた薬の副作用がでてきたのは、

以前に調べていて、なんとなくはわかっていましたが

いまとなってはわかっているつもりだっただけなのだと感じます。

実際は、朝かがみにちらっとうつりこんだ顔をみて愕然(がくぜん)としたのでした。

それは、プレドニンの薬による満月様顔貌(ムーンフェイス)とよばれている副作用で、

参考になるものはこちら?読みものをみる

でも参考のものは、むずかしいことばがたくさんならんでいるので、

もう少しやさしくしますと

顔が脂肪(しぼう)をまとってかなりパンパンになり、はれてふくらむといった状態になることになります。

このことは、ショックなんてものではなかったです。

体験された方がいらっしゃったとしたら、おなじようにわかっていただけるかと思うのですが

もとからくらべて2~3倍の大きさになってしまうといった状態です。

それと私の場合は、顔が赤くなって

バッファローハンプ(野牛肩)といわれるもので、首のうしろのあたりに脂肪がついて体がいかつくなったり

体毛がこくなったり

女性としてはどうにもなりたくない状態

といった目に見えるかたちでの副作用がおおくでていました。

いくら副作用でいっときがまんすれば、ときがたてばもとにもどるといわれても

じっさいになってみると、『生きていたくない』と思ってしまうほどのことで

面会にくる友人や知人にも会うのをためらうといったことも、

気持ちのなかでは、でてきてしまっていました。

それこそこんな私をみせたくない

こんなみにくい私をさらけだしたくない

そういった考えもうかびましたし、つねにイライラもしていたので

このころの私は、できることならものならさけび出してしまうかのような状態になっていました

たたかい

怒鳴る人

引用元

2月1日いつものように朝、主治医の訪室がありました。

どうやらグリベックを中止するということで話をしにきたようで

私もいかりがちょうどおさえられなくなってきていたので、

そういわれたときに思わず今後の治療については、皮フ科の担当医に一任してほしい

申しでをしたといったことを話ました。

そのときは、とくに返答はなくいわれたことをききましたよといった表情をして部屋をでていきました。

その日の夕方、主治医がさいど訪室してきたので

今朝ほど話していたことはどうなったのか?ときいてみました。

でも主治医からのことばは、私が想像していたとおりの返答になっていました。

主治医は、 私がこの皮フの治療にこだわっていることについて

ひたすら否定的(ひていてき)な考え方をもっていて

その治療をすると、白血病の治療がどんどんおくれていくとなんどもなんども

くりかえしたため、ついに私は3度目のいかりが爆発してしまい?

強い口調になってこういいました。

『私にとっていま何が優先であるのか?皮膚をまずは治してほしいとまえまえからいってますよね!?』と

主治医は私のいきおいにおどろいたのか?

それともいわれたことに何をいわれたか!のような表情でかたまっていました。

つづけて

『1月22日、家族からも言われてるはずでは?』

ともつけくわえて話をしました。

それでも反応なしの状況に

私は、この主治医なんどもいわれてもわからんのか!? 腹が立つ‼となってしまったわけです。

このころの私の再燃(さいねん)したかゆみは、ものすごくて

せっかく母にかってもらった新しいパジャマも、

着ていられなくなって室内ではあいかわらず、ノースリーブ1枚ですごしていました。

体はつねにあつく、動いたりするとさらに熱をましていく感じがしていました。

昼間は部屋への人の出入りもおおいので、ズボンははいていたものの

夜間はそれこそシャツとパンツ1枚ずつといったいでたちでした。

それと、かわらずにねむれない

1時間おきにおきて体中かいて

トイレにいってかいて

ウトウトしてまたおきて朝がくる

そういった毎日をくりかえしていました。

そして、カミの毛もぬけつづけていることにどんどん不安になっていきました

やっぱり全部ぬけてしまうのかな??と

福きたる

だるま

引用元

こうして毎日をしょぼい主治医にかきまわされてすごす日がつづいたことで、

つねに気持ちがおちこんでくらい日々をおくっていたのか?

みなさんは思われた方がいらっしゃっるかと思いますが、

そうしたい気持ちはありましたけど、そんなふうにしていたら

ますますおちこんでいってしまうのがわかっていたので、

当日の担当ナースにおもしろいことをいってわらってもらっていたりと

なるべくあかるくいたいと思ってすごしました

病気の治療のことに目をむけると、どうにもこうにもいかないことは

わかっていたので、考えないようにしてました

それに私のきばらしは、やはり入院している他の患者さん

とくに高齢(こうれい)の方に声をかけるのがなつかしくもあって

なかには認知症をわずらっている方もいらっしゃて

でも、ショックなこともありました。

とある日に階段リハビリをしおわって、部屋にもどろうと廊下をあるいていたさいに

すれちがった高齢の男性、ナースがつきそって話しながらあるいていたところをみて

認知症の方とすぐにわかりましたが、その方から、

こう声をかけられました。

あれはうちの婆(ばあ)さんか?』と

そうおっしゃいましたが、さすがにまだまだ私は若いと自分では思っていたので、

その言葉にはどんな意味があるのか?と

外見からなのか?

それとも、認知症をわずらわれていることからそのようにみえたのか?

ともかく、ショックをうけるといったことがありました。

たしかに、いまの私はカミの毛もうすくなって

生き生きとしたものが感じられず

さすがにその高齢男性にも、私が若くはみえなかったのかもしれません。

ただ、そのご高齢男性につきそっていたナースが一生懸命にフォローしてくれていたことには、

苦笑(にがわら)いするしかありませんでした。

でも私はそのことも、ショックなことではありましたが

その日の担当ナースと夕方の検温時に、そのことを面白(おもしろ)おかしくもちだして談笑(だんしょう)しました。

でもあとから思うと、婆さんでもいいか

その方に声をかけて存在をわかってもらえて

人とのふれあいが少ない中で私がいることで

高齢男性にとってはいい刺激(しげき)になったのだからと

そう考えてみました。

たぶん私なりのそれが一番、病を進行させないと考えた回復をたすけるための

ひとつのスキルだったからなのかもしれません。

でも、とっさにでていたもので

やろうと意図的ではなく自然とそうしている自分がいたのです。

子どものころはよく、人を笑わせるのが好きで

『アイーン』といっては家族をわらわせていたこともありました。

そのクセがでたのだと思います。

でも私は思います、どんなものよりもこうして笑いをもてる

その気力がこの病をかかえた環境では必要なのだ

毎日ないて、落ちこんで

過去をうらやんでみても

他人をうらやんでみても

ときはとまってはくれず、何もかわらないと

それならば、せめてわらってすごしていけば

まわりも、心配せずになやまずに

家族が自身をせめたりせずに

必要とするひとびとが、よりそってくれるものだと

そう信じて、

そうすれば、治療はおのずとよい方にむいていくのだと

私は、そう感じてそのときをまつことにしたのです

そして、みなさんにもそういった患者がいることをしっていただきたいと思います。

そしてどうぞ、すべてがどうか良い方向へむかいますように?と願うばかりです。

        

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