さて前回は、まだまだかゆみの状態もなおることなく
しょぼい主治医(しゅじい)の治療(ちりょう)もあいも変わらずといったところでしたが、
今回はどのようになっていくのでしょうか?
では本題(ほんだい)にはいっていきます。
きこえてきた話
1月20日、主治医から家族と面談(めんだん)をしたいという話があったと
その日の担当ナースから私に話がありました。
私は『なぜ?なぜ私に直接いってこないんだ?』と
そのときはそう感じ、たぶんどうせ朝夕と訪室(ほうしつ)があるから
そのときにでもいってくるじゃないか?と、そう思っていました。
でも、そうは思っていたものの
そのあとはいっこうにそういった話はなく、2日がすぎていきました。
そして1月22日、夕方16時ころにいつもの訪室(ほうしつ)にきたかと思いきや
さあ、いうか?
いってくるか?
ん??
例の件がでない、とくにとりわけ話す内容もなくなると
そそくさと主治医は部屋をでていき、直接その話をすることはありませんでした。
『なんだなんのために訪室にきたんだあの人はと、よくわからない人だなやっぱり』
そしてそのあと1時間ほどしてでしたが、さいど主治医が部屋にやってきてと、
お?今度はその話をするのかな?と
あれ?・・・とくになんの話もなくまた部屋をでてく?
私としては・・・二度目のなに?といった感じでした。
もしかして、面談の件をいうつもりだったがなんどきても
それはできなかったということか?とも思いましたが、
主治医のそのなぞの数回の訪室の意味は、まったくもってわかりませんでした。
そのあと、ナースが私の病室にきて(この病院には患者ひとりにつき2人ほど担当がつくというきまりごとがある)
その私の担当になったナースが、病室にくる前に主治医と話をしたとのことで
私にそのときに話した内容をこう話していたと、つたえにきました。
その内容というのが、これがなんともいいがたいもの
それは主治医がいっていたことだというのですが、それをあなたがいうか!??といった内容だったのですが、
患者との関係がよろしくないと、
つまり患者とは私のことで、どうやら私との関係がよくないといって
転院の方向性での話をしていたとのことです。
ただ、現状転院となるといまの状況からのすると変化がおおきいことや
環境がかわることによる患者の負担などを
あるいは家族の状況も考えると、とりあえずは現状維持ということで話が落ちついたときかされました。
私はそれを聞いて、なぜ患者や家族なしにその話に結論をつけるのか?と不思議に思いました。
が、担当ナースはこんなこともいっていました。
この話のとりかたによっては、この主治医は患者としてみているわけではなく
どちらかといえばたんなるその人物を好きか?きらいか?
ということがで前提(ぜんてい)で話しをしているように感じたとのことでした。
ここでみなさんがこのナースについて、なぜそこまで話をもってくるのだろう?と感じたかたもいらっしゃるかと思いますので、
私は入院してからここ数か月でナースのみなさんとは、ある意味友達や知人とのようにまでというくらいに
関係をきづいてきていたので
ちょいちょいとそういった話や病院のうら話なんかをきいたり
ときには仕事で悩んでいることをきいてあげたり、できるところがあれば
新人さんにはアドバイスをしたりといった感じでかかわってきていたので
ほんとに親身(しんみ)になって、ときには泣いている私によりそってくれたりといったこともあったので
いろんな話がきけるといった環境にいることもあって
こういった話をもってきてくれるようになったといった感じです。
それにしても『なんだろあきれてものがいえない』
『この人はなんで医者になったんだろう?』
私がながらく働いていた介護の現場でもそういった人はいますが
いちいちそういった感情をおもてにだしていたら仕事にならないし
まるで子どもがわがままをいっているようだと、その話をきいた第一の感想でした。
でも担当ナースはやはり患者の私のいまの一番の心情をかんがえてくれていて、
まずは、なにより皮膚の状態の治療をしてほしいとお願いしてくれた?とのことでした。
担当ナースが病室をでていったあと、もやもやした思いをしながら考えたことは
いまの私にとっては転院もいいかもしれない・・・
そうすることで医師もかわることになるなと・・・
そう
私にとっては、とても魅力的(みりょくてき)な話だなとそのときは思えたのです。
ふじゅうぶん
1月も29日、今朝はいつもより口の中がカピカピに乾燥(かんそう)しているなと感じて
なんとなく、食べものをのみこむのにも
少しのどのあたりでつまる感じがしてのみくだすことができない
もしかして、唾液(だえき)が少なくなっている?という感じではないかと思って
たぶん、食べものをのみこむだけの唾液がじゅうぶんではなくなっているんだなと
これは、でるようにしたほうがいいかな?とその方法を考えてみたのですが、
介護の現場でよくやっていたものは?と思いだしてみると
口腔体操(こうくうたいそうかぁ?)になるのですが、正直いまここではやりたくないなぁ〜と
人にはすすめているのに矛盾(むじゅん)してるよなとも、思いましたが
何かほかの方法は?と考えて
そうだガムをかんだらいいんじゃないか?となったわけです。
ちなみに口腔体操とは
食事の前にくちびるや舌、口まわりの筋肉などを意識して動かすことで、唾液がよくでるようになり食べ物をかんでのみこむまでの一連(いちれん)のはたらきをスムーズにするために行うことです。それにより、食事やお話が楽にできるようになります。
では、思ったらそく行動といった感じで1階のコンビニにおもむき、ガムをひとにぎりかって
それからは、ガムをかんでいないときがないんじゃない?というくらいに食べていました。
でも、ガムというものは
口にいれたときは味を感じて、かんでいてもいいなと思えるのですが、
時間がたてばすぐに味がしなくなり物たりなくなってしまいます。
なのでこのときばかりは、つぎつぎに新しいガムを口の中にほうりこんでいくといった
これまたなやましい結果をともなうことになりました。
あんのじょうそんな状態なので、コンビニには1日おきにかよわなけらばならなくなりました。
これは痛い出費(しゅっぴ)?です。
それにあるていどの効果がでないと意味がないと、なにかしら変化があるまではつづけていました。
そうしてしばらくして、やめないでつづけた結果やっとガムの効果がでてきたのかな?と
ちかごろは、あれほど味のしない食べものにいやけがさしていると感じていたものが少しは
よくなってきているように感じてきていました。
そして2月7日には、あの例のダマになっていた鼻水がダマがなくなり
ながれのあるふつうの水鼻水にかわるといった変化もありました。
そして今日の昼にでたニンジン、『あぁニンジンってこんな味してたな』と実感もでてきてきました。
が、まだアマイ、シオカライの区別はつきません。
2月9日の朝食でサラダがでたときには、そこにドレッシングをかけてみたところ
ほんのりとドレッシングの酸味(さんみ)を感じ、
つづいてミソ汁のだしの香りも感じてと
じょじょにもどりつつある味覚にホッとして、
『あぁ〜やっと・・・やっとだ?』
そう思ってよろこぶ私がいました。
それにひどかったぬけ毛が、それほどたくさんぬけるではなくなってきたかも?と感じるように
あんなにごっそりと、いまにも全部なくなります‼くらいのいきおいだったのに・・・
なぜか肩のちからがぬけたような感じでホッとしていました。
でも、よろこぶのはここまででした。
というのも、こんどはまたもやプレドニンの別の顔、つまりは副作用(ふくさよう)がでてきたからです。
それは、イライラするかのようにわきあがってくる
おこりっぽくなる気持ちのことで自分でのコントロールがきかないといったものでした。
それと、あとあとかなりこまりごとになっていった『ひたすたらわきあがる食欲(しょくよく)』がありました。
それは副作用の情報にも説明されてはいましたが、
なってみると、ほんとうにどうにもおさえようもないほどキツイもので
それも無意識(むいしき)という点もやっかいで、
こればかりは私のイライラのタネがまたひとつ、ふえることになったのです。
さて、なにかしら対処(たいしょ)しなければなりません。
でも、いまの病院でだされている食べものでは、
はっきりいってこの食欲はみたされることはない、
となると、売店にいって何かしらみつけるしかないなと
その日のうちに、階段リハビリのいきおいをそのままに
別の棟の1階の場所にあるコンビニまでいくということを習慣にすることにして
コンビニでいろいろ目についたものから、検証して
とりあえずアメ(ラカントのアメ)と口のリハビリでかっているガムをたくさんかって、
この闘(たたか)いにそなえました。
ちなみにラカントをえらんだ理由
砂糖と同じ甘さでカロリーゼロの自然派甘味料であること。「羅漢果(ラカンカ)」の高純度エキスとトウモロコシの発酵からえられる天然甘味成分「エリスリトール」、2つの天然素材からつくられたアメであるといったところ
「羅漢果(ラカンカ)」は桂林にのみ自生するウリ科の植物。古くから漢方として親しまれ、あらゆる病の予防と治療に効果を発揮する「長寿の神果」として伝えられています。
以前から気になっていたので、はじめはこれをかってみました。
食べてみた感想としては、やはりふつうのアメにくらべると物たりなさは
感じるかなと思いましたがだいじなのは口の中にいれることと、
カロリーをとりすぎないようにすることだったのでガマンしてました。
でもラカントのアメは次も買うということがためらわれ、そのごは別のカロリーのあるアメを
食べることになりました。
ただ、なによりもカロリーをさげなければということは頭にありましたから
ちゃんとそのところはチェックしつつもかうことにしていました。
これはなぜかときかれると、いまの私はプレドニンを内服していることもあって
血糖値があがりやすく、糖尿病になる可能性があるからでした。
このことにつきましては、あとあとからまたふれていこうと思います。
だから食べすぎてはいけないと思ってなるべくガマンをし、
『もうたえられないな』『無理だな』と思ったときにだけアメ玉を口のなかにほうりこむようにしたのですが、
食べているうちになんともいえないイライラがでてきてしまい
アメ玉をバリバリとかまずにはいられなくなって、
アメ玉はあっという間になくなってしまうといったことになり、けっきょくはふくろのアメがすべてなくなるまで
食べてしまうといった状態になってしまいました?。
これは、どう考えてもよくないことだなと思って
なにせ一番食べたときで二袋を全部1日で食べてしまった状態だったので
いくらなんでも食べすぎたと
ならば、ついこのあいだはじめてみたガムもとりいれて
アメ玉とガムを交互(こうご)に食べてみましたが、ガムはいつものように最初だけで
だんだん物たりなくなってまたイライラしてくる、
そしてどんどん、私の口の中にアメ玉もガムもすいこまれていくのでした。
そうやって、つねに口の中に食べものをいれていて
そんなことをくりかえしているうちに、口のなかが大変なことになってきました。
なんとあれてしまって、いろんなものが刺激(しげき)となりしみて痛み?がでるといったことがおきました。
ただやめようかな?と
思ってみても、いまおきているこの食欲やイライラにその思いはおよばずに、気をつけて少し量はへったもののまだまだ
食べるのをやめるところまでとはできませんでした。
こりない
月日をまたいだ2月10日、おそれてたまたかがおきてしまいました。
あれほど『いまは何かしらすれば、場合によっては体がびんかんに反応するようになっている』と
皮フ科の担当医からいわれているにもかかわらず、
肺炎予防(はいえんよぼう)のためと、月1回予定している吸入薬の吸入治療(きゅうにゅうちりょう)が中止されることもなく、おこなうという
内心私は、やらないほうがいいんじゃない??と
『やな予感しかしないな、まったく』
そう思っていたのですが、その治療をおこなうと
主治医が指示をだしたとのことで、私の病室でナースが準備をしはじめました。
私はギリギリになってもやらないほうがいいのでは?と思っていたものの
『やるならやれば』と
かんぜんに半ばあきらめもてつだってか、こばむことはしませんでした。
『ほんとイヤな予感しかしない』
とそうなんども思いながら、機材の用意ができてと
でもこの治療は、ナースがつくことはなくこれから1時間以上はかかることになっていて
その間は部屋にひとりにされる、
なので何かあったらこまるなと不安もありながらの吸引になるのですが私の不安をよそに治療が開始されました。
ちなみにこの治療のやっかいなところは、この機材の使用上とても不便(ふべん)なことがあるからです。
それは、機材からチューブがのびていて
そのチューブから薬がでるのですが、先端部分は口と鼻をおおう感じで受け口があって
ただ、それが人工呼吸器のように頭のうしろあたりで固定されることはなく
いちいち手で1時間以上ももっていなければならいということで
つかれたら手をかえてといったように自由がまったくきかないからでした。
それに吸引中のその薬は、なんともいえないきり状のもので
まとわりつくように鼻から口からとはいってくる感じがする、
それで途中で鼻水がでたりと、けっしてやりたいとは思えないしろものでした。
でも、その
治療がはじまる
そしてしばらくして、なんとなく体がだんだんフワフワとし
『なんだかあやしいおもむきになってきたかな?』と感じだしたことで、
私の不安も現実味をましていきました。
そして30分がたったころ、なんとなく腕のあたりに目がいくと
なんと腕(うで)に赤いぶつぶつしたものがでてきはじめているではないですか!?
『ヤバい‼これって』
『えー!!なに?またなったの??』
『しばらくしたら消えるのかな?どうなるのかな?』
『かゆくなる?ひどくなる?』とひとさわぎ、
ある意味パニック状態ともいいます。
そうこうしてるうちに赤みはきえるどころか、その色も範囲もひろがっていきました?。
そして、喘息発作(ぜんそくほっさ)のときにでるヒューヒューという喘鳴(ぜいめい)のきこえる呼吸になりだしました。
ひとりだった私は、『もうおさなきゃダメだな』とナースコールをおし
体に異変(いへん)を感じ肌の赤みもみせて、
その場で吸引治療(きゅういんちりょう)は中止となりました。
あの発見した腕の赤みですが、それをみたとたんに私はかなり動揺(どうよう)し、
しばらくは、その赤みのいくすえから目がはなせないといった状況がそのごはつづいていくことになりました。
そして平静(へいせい)にもどった私は、ポララミン錠(アレルギー薬)を内服してようやく
もとの呼吸にはもどりましたが、皮フにおこった赤みはかわらないままでした。
ようは再再燃(さいさいねん)ということにみまわれたのです。
そのごは、おきまりのとおり
ポララミンをのまずにはいられず、夜間は1時間かんかくで
かゆみによって目がさめる
またいつものかゆみ生活にもどり、その状態が2日ほどはつづくことになりました。
ただ、その治療は週末におこなわれたこともあり、皮フ科の診察をすぐにはうけることができずに
その週があけた月曜日に皮フ科で診察をうけたのですが、皮フ科の担当医の目がテンになっていたのには
あたりまえの反応だなと感じ、私はこうなった理由を皮フ科の担当医につたえたのです。
2月10日の午前中に肺炎予防のための吸入をおこなったことと、
その経緯(けいい)を説明したのですが、
やはり、そういった治療をおこなう話はきいてなかったようで・・・
状況はふりだしにもどったというか、かなり病状は後退(こうたい)したものになったというところでした。
私のなかでは、『もういいけげんにしろ!?』と
このままでは、回復なんてぜったいに無理だろうと
ただただ、むなしくなるばかりでした。
それからの毎日は、思いだすのもイヤな状況でした。
再燃したことでかゆみは、はじめてそうなったときよりもひどいものになっていて
かゆいのなんの、
背中の手が届かないカ所以外は、眠っているあいだにボリボリかいてしまっては
『あ~かかない、かかない』
と自分にいい聞かせましたが、ほとんどかいたほうが楽だという思いにとってかわって
かいてしまっては
『あ~ダメだかいちゃ』と
そのくりかえしになり、そのうちにふとかいた手に目がいったさいに
かなりおどろく状態になっていることに気づいたのですが、
それは、なんと手の先にある親指のツメが皮フからはがれてういてきてしまっているではないですか。
そしてその光景(こうけい)は、じょじょにツメが皮フからはがれていくのをリアルタイムに観察していくことになります。
日がたつごとに、それはどんどんういてきて
その親指のツメの根もとまでたっしたころに、ほかの手の指のツメも同じようにうきはじめて
それから、足のツメもういてくるといった状態に日ごとになっていきました。
もしかして、これって全部はがれるの?
はがれたらどうなるのか?と
そういった考えがうかび、よくツメがないと生活するのに大変ときいたことがあったので多少の不安はありましたが、
それほどにまでなるとは想像もしていませんでした。
そしてそれは、ある意味こまりごとになっていきます。
その日は朝一番でトイレに行き、そのご手をあらいました。
なんと、そのときやけどをおったときに水をかけたらしみるような痛みになるのと
同じ感覚になって、
もちろん、それはシャワーをあびたときも同じでどうやら、ツメと皮の間にはいったその水によって痛みが発生するといったことがわかりましたが、
これはどうすることもできないので、おちつくまでそのままで生活するしかありませんでした。
そして、ツメ以外でも顔ぜんたいにピリピリとした感覚もでてきました。
ほんといろんなことがおきてきて、
皮フ科の担当医に確認すると、プレドニンの影響(えいきょう)で免疫力(めんえきりょく)が抑制されていることから
帯状疱疹(たいじょうほうしん)が発病する可能性があると、
ただ、現状はそのようすはなく、今後は経過観察(けいかかんさつ)になるとのことでした。
『帯状疱疹(たいじょうほうしん)!??』
またつぎからつぎへとよくもまぁ・・・
よく介護の現場で、その病を発症した高齢者(こうれいしゃ)の背中をみたことがありますが
私があれになるのか?と思ったら
しかもそれは、後遺症(こういしょう)で神経痛をのこしている人も多い
ただでさえ、かなりかゆくてまいっているところに
帯状疱疹って、まったく鬼のしうちだよと思っていました。
ちなみに帯状疱疹とは
体内のみずぼうそう(全身(頭や口の中を含む)にかゆみをともなう発疹(発赤、水ぶくれ、かさぶた))と帯状疱疹ウイルス(体の左右どちらか一方にピリピリとさすような痛みと発赤、水ぶくれができる)が活動を再開することで発症します。
主に子どもの頃に、このウイルスに感染することでみずぼうそうを発症します。 そして、みずぼうそうがなおった後も、ウイルスは脊髄(せきずい)から出る神経節(しんけいせつ)という部位にひそんでいて、普段は体の免疫力(めんえきりょく)によってウイルスの活動がおさえられ発症することはありませんが、免疫力が低下するとひそんでいたウイルスが再び活動し、ふえはじめます。それから、ウイルスは神経の流れにそって神経節から皮フへと移動し、帯状(帯(おび)のように一定のはばがあって細長く続く形)に痛みや発疹(ほっしん)が出る帯状疱疹を発症することになります。
でもいまは、毎日皮フ科の担当医に診察してもらっているという安心感があるからか
まだ精神的にはすくわれている
それに内服薬はしばらくは、まだプレドニン60mgを続けるようだし
安心してすごせるだろうと、
これで主治医が新しい薬とやらを処方しないかぎりは
この状態をたもっていられる、いやそうならないようにねがうしかないと思っていました。
いまの私の状態をおさらいしてみると、浴後にほんのりと寒気を感じるようにはなったものの
まだまだ、からだが熱くてほてっていることや
舌の状態としても酸味だけは、わかるようにじゃっかんは回復したといった感じはあるものの
あまみ、塩味(えんみ)はまだまだ感じとることができていない
そして、プレドニンの影響で食欲はかなりわいてきていて
あめ玉をつねに口いれていないと落ちつかなくなっているために、舌があれだしてとか
鼻水が乾燥してかたまり(鼻くそのこと)だしたことで、ニオイがすこしづつわかるようになってきたといった状態でした。
私としては、全部が全部だめといったといったことでもなく
1つでもいいほうに変化があれば、
よくなってくれればいいと、
そう少しづつ少しづつでもと
自分にいいきかせるようにして、自分をたもっていくしかありませんでした。
いよいよ
さてどうする
2月16日いつもの回診で、私はこころのなかでもえたぎるものをかかえていました。
というのも、またまたこりずに主治医からでたそのひとことが原因だったのですが
何‼何いってる??この医者はと、ここでも思っていたからです。
いったい何度患者をおこらせればきがすむのか?
そのひとこととは、今回の再再燃をうけて状態確認をしていったことばだったのですが、
私の赤くなった腕をながめてこういったのです。
『グリベックの薬のときよりはまぁ・・・』
なんで途中でくぎった??
でもニュアンスと表情からすると『まぁまだマシかな?』というつまりだったのを
ヤバい、いってはダメだと思ってとめたといったところかな??と感じていましたが
もちろん、私はこみあげたいかりをおさえてはいました。
このときの私は、
『肺炎予防のための吸引薬で起きた発作でかゆみが再燃したのはあきらかなことなのに‼』
『このあとまた、かゆみで大変なのは誰だと思うのか‼』
『患者の私なんだけど!』
『再再燃じたいありえないだろ‼?』と
こころの中でさけぶことになりましたけど。
それに私にとってこれ以上のガマンは、もう無理かもしれないなとも感じていました。
とりあえず、この主治医の交代をもうしでないではいられないといった結論でいっぱいで
たぶん何をいわれても、この決意じたいかわることはないなと思っていました。
ただ、このときふと思ったことは
いったいこういったことをどこに話をもちこめばいいのか?といったことでした。
病院の相談窓口?でも入院してるしな・・・?
それともナースに?
それか一番えらい婦長さんとか?に話をするほうがいいのか?
とりあえず、2月12日に私にカウンセリングの担当がつくとのことだったから
そのときにでも相談してみるかな?
いや、それか週明けにでもナースにつたえてみたほうがいいのか?と思案(しあん)して
てっとりばやくて、話をしたときによりわかってくれ対処してくれるとしたら
ナースしかないかなということを考え、
そして週があけた2月15日の月曜日の朝、今日の担当ナースがきたときに
さてどうやってつたえようか?と
えーいいってしまえ
私は意(い)を決して、
『担当医をかえてほしい』そういいました。
私のねがいでにナースはこの場では何ともいえないという表情をして、
上司と相談をしてくると部屋をでていきました。
私は、あんなにストレートにいってよかったのかどうか?
いやここまできてまようことはなかった!とか、
でもいえてよかったとか
いろんなことに考えをめぐらしてしまいました。
そのご、担当ナースが午後やってきてひととおりの体調チェックをおえると
例の話の答えをこう話しはじめました。
『上司と相談しましたところ、やはり主治医本人に直接もうしでをしていただいたほうがいいと思います。』
そういったへんじでした。
『お?直接かぁ』
『いいにくいなぁ』
そう私はココロのなかでは思ってましたが、さてどうしたものか・・・?
いまになって思えば、この日の担当ナースはキモをひやすことになっただろうな
ちょっとかわいそうだったなと
そう思いましたが、まぁ私も途中どうしようかさんざん悩んだ結果で
ここでとまどってはいけないなとあらためて
そう思いなおしたから、相談にいたったわけで
やっぱりちゃんと自分の口からいわなきゃダメだなと思ったのです。
さあ、ここは分岐点
これは私がおこなった、自分にとってのよき方向性をしめす
ひとつの選択だったのだと
それによって、これからの私がのぞむ治療を今とはちがった考え方をもつ医者に
すべてがたくされればいいな
であえればいいなと
そう希望をもった瞬間になりました。
けつろん
そして翌日の16日のこんごを左右する1日がやってきました。
朝、訪室してきた主治医がいつものたいくつな
『かわりがないか?』といった話がおわってひといき、ここがチャンスとばかりに、私からこうきりだしました。
『主治医を交代してほしい』とストレートに。
さてそれをきいて主治医がみせたものといえば、
いままでのこの主治医の経過(けいか)からしてみなさんなにを想像されるでしょうか?
彼女はこういった自分の想定外(そうていがい)のことを
いわれたり、
されたりしたときにきまってすることがあります。
それはそんなことこの私がいわれる⁉、あるいはされるはずがないといった過信(かしん)からうまれるもの、
そうめんくらったかのように目が点になった表情のことです。
そして、その日もかわらずその表情を私はみることになりました。
私としては『やっぱりな』と思っていましたが、そのごの反応もこれまたおどろくもので
いわれたことばを理解したとたんにわれにかえった感じでこういいだしました。
『うちの血液内科では受けつけておりません。
チームでやってるため、交代はできません。
それであれば、転院(てんいん)になります。』と
ちょっと声がふるえていたような・・・
それって何?どういうやりかたなのこの病院は‼とおもったら
私はもちろんのウリコトバニカイコトバ
いかりが爆発(ばくはつ)の状態でこう返答します、
『そんなルール聞いてない‼わかってたら、もっと早期に対処(たいしょ)してたのに…何それ!?』
いかりにまかせてはなったとはいえそのことばは、
いままで私がどれほどガマンしてきたかがわかるといったことばになっていたかと感じます。
私が男性だったら『バカヤロー』までいってしまっていたかもしれません。
それにしても患者と医者のこのやりとり、みなさんはどう思われますか?
主治医たるものこんな状態でいいのでしょうか?
私もいろんな医師はいると思っていましたがこれほどひどいのは、はじめてのことでしたから
このさきどうしようもないな?と
だからといって転院とは、なんといういいぐさかと思いました。
あのくるしまぎれの転院の話は、はっきりいって
いままでの彼女の対応や態度(たいど)、ことばづかいといったものをかんがえれば、
わかりやすい対応だったなとよくわかります。
でも、なぜ患者にむきあおうとしないのか?
なぜ患者の目線にたって話をしないのか?
これもプライドがゆるさないといのなら医師失格だと、私は思いました。
いまさらになってそういう姿勢をみせるとか
ちょっと遠回しにことばをかけるといったことは無理なのかもしれない
でもなぜ主治医をかえたいと決意したのか?と少しは疑問に思ってほしかったですし
『私が治療の過程でどうしてほしいのか?』
『どうなりたいかの選択肢をあたえるといったこともしてくれれば、どんなによかったか?』
そういったこともさまざま会話をしてほしかったなと思うのです。
でも、本来ならばいままでの治療の過程で
どちらにしても対応がまずかったことをしって、親身になって話をきいて
できれば同じ目線で腰をひくくしていてほしかったというのが、本音でもありました。
これをきかれると、患者はお客としてえらいからなんでもきけ!
といったこと感じとられるかたもいるのではないか?とは思いますが、
けっしてそういったことを主張(しゅちょう)したいわけではなく、
病でまよい、
苦しんでいる患者にたいして、
せめてことばだけでもすくわれるように配慮してほしかったな
ということを伝えたかったということをおつたえしたいのです。
でも、そんなやりとりがあったとはいえ
そのやりとりの最中(さいちゅう)の私は、一度だけ大きな声でことばをはなちましたが
なるべく、それいがいは大きな声はだすことはせずにやりすごしていました。
ただ家族にはそく、こういうことがあったと
メール連絡はしましたが、とにかくいかりはおさまることなく1日をおえました。
そして翌日、朝いちばんでやってきた主治医は体調チェックも何もなく、
いきなり、また昨日の話をむしかえしはじめたのです。
『転院の話はどうなりました?』と
とにかく催促(さいそく)にきたといったところでした。
昨日はおとなしくおさえられた私でしたが、もういいだろうと
ただただわきあがってくるものをおさえることは、もうしませんでした。
あまりにも理不尽(りふじん)と感じてはらがたった私は、
いままでそんなふうな話しかたをしたことはなかったのですが、
『そんなに簡単に決められるか‼??』と
そうまさに一喝(いっかつ)していました。
それをきいた主治医、そのあと何もありませんでしたよ
とでもいうようなようすになってそそくさと部屋をでていきました。
そこからの私はイライラがとまらず、きびすをかえしてでていった主治医もおかまいなしで
あまりにも腹が立ちすぎて、どうにもならないといった感じ
ふと、なぜか振動(しんどう)がおきてる?と思って
一瞬地震(じしん)がおきたかもしれないと・・・でも自分の手や体をよくみてみたら
なんといかりで体がふるえているではないですか!
ふるえをとめなきゃと
こんどは、オロオロする?といった状態になっていました。
これは、うまれてはじめての経験でした。
ちなみにこの私の現象は、しらべてみるとこうかかれていました。
自分の意志とは関係なく生じるもので、いかりや恐怖(きょうふ)を感じたときや緊張したときにおきる心因性(しんいんせい)のものは誰にでもおきる生理現象のひとつとされていて、このふるえについては自律神経(りつしんけい)のはたらきが関係しているとされています。
このところの私は
病気の影響もあったのかもしれませんし、
この主治医との関係もあって、精神的にはとても落ちつける状態ではなかったり
病気をうけいれたり、入院や治療のこの生活になれるためにもと
お金のこともと
かなりのストレスになっていたことはまちがいないことだといえます。
きっとそのへんのこともかんがえると、自律神経がみだれてしまっていたということが
あきらかに、このいかりで体がふるえてといったことにつながったのだといえます。
これがまさに岐路(きろ)にあるのだなというのが、いまの私がおかれた状況かなと
そしてこのあと、いったいどうなっていくのかが
まったく予測できないといったところも感じとれたかと思います。
いつまでつづく
私が入院してからのこの数か月については、なんどもなんどもこの主治医とのやりとりで
激怒(げきど)しながらも必死で気持ちをおしころしてのくりかえしをつづけてきました。
まるで、急な山道を登山していく気分で
どんなにのぼってみても、いっこうに頂上にはたどり着けず
それに頂上もみえない、
まだまだ上り坂がつづいていくようなそんな感じにとらわれていて、
この登りサカをどうやってのりこえていくのか?
このさきに頂上があるのかどうか?
登りきれるのかどうか?
この道でほんとにあっているのか?
私はどうなっていくのかもわからずにただひたすらに、
のぼっていくといった夢をみているかと思うようで、
でもけっきょくは、途中までかなりきびしい道のりをのぼって
道がわかれていて、どちらにするか悩んで
それをなんどもくりかえして、道案内を信じてしたがって
ふと、もしかしたらさっきの別の道をえらんでいたほうが頂上にちかかったのでは?
といったところを考えてみたりと
そういったことも毎回もあって、もうそろそろ道案内にしたがわなくてもいいだろうと
そして、今回はこっちの道をえらんではまたきびしい道のりだとわかって
別の道案内をえらびたいと思った
つまりは、主治医の交代をのぞむという結果になったといったところだと感じていました。
ここまでの結論にいたるまでにはだいぶ時間がかかりました。
ただ、私としてはこんなむずかしい病気をみてもらっているのだからと
その労力(ろうりょく)をもうしわけないなとも思う気持ちもあって、
恩義(おんぎ)を感じていたのかもしれませんが、なかなかいいだせずにいました。
でも、この件をもうしでたときから
もうクレーマーとしてあつかわれてしまうんじゃないか?と
そう悩んだりもしましたが、
もうガマンができないと自分で方向性をきめたことだったので、
しかたないことだとそう自分にいいきかせていました。
それにこんな信用ならない医者とのであいは、私のなかで想像もしていませんでしたから。
いつも名医を特集したテレビ番組をみて
それこそ病気をしらなかったときでさえ、こんな名医がいるなんてと感動し
もし自分がおもい病気にかかったなら、こういった名医にみてもらいたいと
まだ病気とは無縁だった私でしたが
そういった思いはありました。
なのにいざ病気になってしまった私、そんな思いをもっていたのですからくらべないわけはありません。
今の主治医について考えてみると、どうしても
ポジティブにかんがえることができませんでした。
入院してからずっと不安とイライラをかかえていて、このさきもずっとこのまま
だったらどうなっていくんだろう?と、
それともいわずにおとなしくしたがっていたほうがいいのか?
そのほうが楽にはちがいないのだが、でもそうするとどんどん悪くなる気がして
『ん~私には無理!?』と
したがうことは私にはできないとさとったのです。
このぶんだと、すべてを治療も何もかもを放り出してしまいそうな気がして・・・
これって問題児になるのだろうか?
私の担当になった医師が気の毒なのかもしれないとも思えるが、なによりこうして担当することになったのだから
そのへんは観念(かんねん)して、私という患者をうまいこととりあつかってほしいのです。
どんな患者にたいしても、そのヒトトナリをくんで治療をしていく
途中でなにかあっても、そうすれば患者にとってよりいい方法になるのかどうかを検討して
道をさぐって、『この人だったらつぎはこうしてすすめていこう』と治療に誘導(ゆうどう)できるようになる
つまりは患者を手のひらの上でころがしながら回復、
あるいは完治していくようなことができる主治医をもとめたいと思うのです。
理想がたかすぎる?
そう思う方もおられるかと思いますが、むずかしい病気をもつ患者としてはそういった医者を必要としているのが事実と感じます。
いままでに、ここ何回もこうして書いていること
このままでほんとに大丈夫なのか?
ほんとにこれでなおるのか?
こんな思いをこのさきもう二度ともちたくないと
私はそう思っても、この主治医にたいしてあきらめることなく治療を1日1日をこなしてきたのです。
たぶんこのさきは、きっと
いつか自分の思いえがく名医にであえて
患者としてのとりあつかいをうまくしてくれるであいがあることを願いながら
ときの変化をつかみとりにいこうと、うごきだそうと思います?。
さて今回も、主治医とのいかりのやりとりばかりの様子をかかせていただきましたが、
このまま、この関係がつづいていくんでしょうか?
でも、ちょっとお話させていただくとこのさきには、大きな転機(てんき)がまっていることとなっています。
これ以上はつぎの機会で。
よき方向にむかっていけるといいのですが。。。
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