子供の頃から、風邪も中々ひくことがなかった私が、約3年にもわたる入院と、
治療のために何年も病院通いをするとは思ってもみませんでした。
序章 はじまり
多分、今になって考えた時にこのときから、はじまっていたのだと感じます。
小中高と、学校での健康診断といえば、身長・体重・視力・聴力などなど
高校にいたっては、健康診断ってあったかな?と思うほど、しっかり検査したおぼえがありません。
運動部に所属していたこともあり、ぽっちゃりなことをのぞけば健康優良児だったので病院に行ったことはありませんでした。
大学入学にあたって健康診断があり、そのなかで血液検査がありました。
その結果は、ヘモグロビンの数値がかなり低いこと、「貧血です」と言われ病院にかかった方がよいとのことで近くの大学病院に行きました。
診察の結果、医師から「女性は月経の影響もあること」
あと『普通よりも多く運動することで、鉄分が不足してるのだろう」としばらく鉄剤(赤い丸い薬)をのんで様子を見るようにいわれました。
その後、数値がよくなったのと
貧血の症状もなかったので、そんなことあったかな?程度でした。
そのため、白血病になったあとまで、このことは思い出すことはありませんでした。
そして病は確実に進行して行きました。
第1章 「はずかしい」なんで倒れたの私
大学卒業になり、母が卒業式に参加するということで東京駅まで、母をむかえにいくことになりました。
なぜ私がむかえに行く必要が?と思いますが、母はかなりな方向音痴なので
東京駅はまず、母にとっては迷路です。
当日の電車は朝の通勤時間とかぶっていたので、かなりな混雑でした。
あまり車内奥に行きたくなかったので、入り口に立って駅に着くたびに何度か降りる人待って乗り降りをくりかえしました。
降りる駅の二つ手前の駅が近づいてきたとき、なぜか少し気分が悪くなってきました。
「乗り物よいしたのかな?」と思った後、思いもよらないほどの冷や汗と、
身体が冷たくなってくるのを感じました。
いったん電車をおり、しばらく休んだ後次の電車に乗り換えました。
次の電車も混んでいたのでのってすぐ、ドアの入り口付近に立ちました。
少しよくなったかな?と思いホッとしたのですが、最寄り駅が近づくにつれて、また冷や汗が出てきました。
「もう少し、もう少しだから」そう自分に言い聞かせて、
扉があいたところまでは覚えているのですが、その後の記憶はありません。
ただ、薄れゆく記憶の中で「大丈夫ですか⁉」といった声がかすかに聞こえました。
目が覚めると、駅員室で横になっている私に駅員さんが近づいてきて声をかけてくれました。「倒れたんだよ」と。
どれぐらいの時間がたったのか確認すると、2時間以上は横になっていたようです。
今こそ、だれでも携帯電話をもっていますが、当時母はもっていなかったので連絡はつきませんでした。
「私このまま帰れるんだろうか?」と体を起こしてみますが、中々起き上がることができません。帰れるんだろうか?と思った・・・そのとき駅員さんが、
「まだしばらくゆっくりしていい」といって下さったので、回復するまで横にならせていただきました。
その後、30分ほどして起き上がることができたので、帰宅しましたが
さっきまで、横になっていたの?と思うほどよくなって
普段と変わりませんでした。
でも「何で倒れたのかな?」
「身体に異変があるのかな?」
などと、考えましたが回復したので深く考えることがありませんでした。
第2章 座ってられないほど気分が悪くなる
30歳をすぎると、気分転換に車で外出するようになりました。
当時の私も、ご存じの通りたくさん食べてましたから、私にとって車での外出で一番不便なことは、「食事の時間が不規則になること」でした。
タイミングよく、食事ができるところがあれば問題ないのですが、そうでないと朝ごはんから、かなり時間があいてしまうことになります。
そうなったとき、それは突然おきました。
お腹がすくと同時に、気分が悪くなり座っていられないといったことです。
特に、食事の時間のかんかくが長いほど、症状がひどく出るようになりました。自分でもなんでそうなるのか?わかりませんでした。
ただイライラして、気分が悪くなるといった状況です。でも何か口にすれば、症状は回復します。
なので、回復してしまったことで、私はあまり深刻に考えることがありませんでした。
ここまで読まれた方、「何で気づかない?」と感じたのではないでしょうか?
ただこのクセは、この先も続きます。
第3章 朝起きて、びっくり何これ
私は以前から、耳掃除が好きで
よくほって大きいものをとろうとすることが、よくありました。
30歳半ばになり、仕事のストレスが絶好調になったころ、いつものように、耳掃除で大きいものを捜索したところ、
かたまりがあるのを発見し、「これは大きい」とワクワクしながら
とり出したのですが、いつもの耳あかとは違ってそのかたまりは
黄色の透明色でした。
「けっこうほりすぎたのかもしれない。しばらくはさわらないでおこうかな?」
そう思っていた次の日でした。
朝起きると、頭を上げた際に枕と
枕カバーがくっついているといったことがあり、さわってみると、耳から枕にかけてすごいことになっていました。
昨日、ほりだした黄色の透明な液体と同じものが乾いて付着している状態でした。
多分耳だれです。
「うあ!どうした?」そうおどろきましたが、仕事にいかなければならなかったので洗い流して出勤しました。
その後、耳掃除はしてはいませんでしたが、しばらくその状態が続きました。
仕事が忙しく
通院費もかかることを考えると中々、病院にはいくことができませんでした。
ここでも、また一か月ほどして回復したので受け流してしまいました。
第4章 もだえるほどの激痛
皆さんは、足がつるといった経験はありますでしょうか?
私には、その症状が
みぞおちのあたりにごくわずか、痛みが出ました。
「寝ちがえた?のかな」そんなことあるわけないと思いますが、少しづつですが確実にそれはやってきました。
筋肉痛なのかな?と原因を考えますが、どれもピントきません。
ただこれもまた少しするとなおります。
ここから、最終的な局面をむかえます。
病が進行していることに気づかなかったのだと思います。
この状態になっても、私の思考は正常な判断ができていなかったのだと感じます。
整形外科に
寝方が悪いのかと、右側を下にしてみたり、左側をしたにして寝てみたりとしましたが
痛みが広がっていきました。
そのうち、時間がたっても痛みはおさまらなくなり、ずっと続くようになりました。
あまりの痛みに、「これは病院にいった方がいいな」とやっと近所の整形外科に駆け込み検査をしましたが、異常なしといわれ
痛みが楽になるようにと電気をあてるといったことになりました。
行った後は、その時は少し楽になりますが痛みはぶり返します。
通院を続けますが、よくなりません。
ちょっと整体院にもいってみよう
やがて着替えも腕を上げるのにも痛みで叫ぶようになりました。
お風呂も1時間以上かかります。
徐々に、家事やトイレ、寝がえり・・・などの生活することの何もかもが思うようにできなくなっていき、
結局仕事にも行けなくなりました。
当時、派遣で近所のデイサービスに行って働いてましたが、物が持てなくなっていたり、階段をのぼるのに時間がかかったりと、
なんでこんな風になったんだろう・・・
「どうしてしまったのだろう?」と考えない日はありませんでした。
ある日のご利用者の方のトイレの介助の際に車いすの方で、お一人で立って便座に座ることが難しい、
その方を抱えて立ち上がった瞬間、
胸あたりに激痛が起こりました。
思わずさけび声が出そうになりましたが、必死でこらえ
「ご利用者様を落としたくない!」とふんばりました。
ほんとは倒れそうでした。
そのことがあってからは、ご利用者様やほかの職員の皆さんにご迷惑が
かかるのは申し訳ないと、
お茶くみの仕事に変えていただきました。
ただ、派遣期間が終了に近づくにつれて、通勤で自転車にのって坂道を息を切らせながら自転車を押して行ったり、道路のくぼみで自転車が振動するだけで、胸のあたりの激痛がおきたりと、
こうなってしまうと頭も正常に働かないのか、何もやる気が起きなくなってしまいました。
ただ、あと数日は仕事に行かなければなりません。
介護の現場はただでさえ、人手不足なので気力をふりしぼって最後まで行きました。
「このままではいけない」と、どこかでそう思っていたのだと思います。
そのうち自然と近所の整体院に足がむいてました。
診察後、マッサージをしてもらいましたが、
ほぼ激痛で、あとからあとから涙が出て止まりませんでした。
医師から「これはきっと、体の中の問題かもしれないね」そういわれました。
あとから思うと、「この先生スゴイな」と思えましたがとりあえず、
なにより施術を受けたあとはかなり楽になるので、しばらく通いました。
派遣期間満了が近づいていましたが、仕事が終わったあとはそく整体院に直行しました。
ただ、日に日に整体院で施術を受けても悪くなる一方でした。
「あと少し」ホントに気力で仕事に行っていたのだと思います。
その後、仕事に行かなくなった日から、
私は起き上がることができないほどの寝たきり状態になってしまいました。
第5章 病気になった経過からわかったこと
引用元
今言えることは、
何度か病の兆候(ちょうこう)があって、体が悲鳴(ひめい)をあげていたのに、それを私は、
何度もムシしてしまった。
多分、「私は大丈夫」「そう簡単に病気にならない」その考えと
病院に行けば、費用(ひよう)が必要になるとか、仕事が忙しいから
などの理由で、この状況に向き合うのがメンドウだったのだと思います。
そして、すべての症状が何事もなかったかのように回復してしまったことが、結果として、私の
のちの人生をそして家族も含めて、人生を全て変えてしまったことに
とりもどせない時間の後悔を感じています。
あのとき、もっと早くにいっておけばよかった・・・そう思わないためにも
みなさんも、何事もほどほど
健康な体であってこその人生なので、つらいとき、体が大変なときは
がまんせず、「大変なんだ」と「助けてほしい」と言える
そういう人生であることを願っています。
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