第6章 よくなりますように
整形外科で出された痛み止めもシップもその場しのぎで、いっこうによくはならなかった。
病院にいかずに何とかよくなる方法がないかどうか?ネット検索した。
色々検索する中で、もう神頼みしかないのかな?と思いました。
そして神社にも行って「治りますように」と頼んでお守りももらって、
その足で、とある場所に向かいました。
以前から行ってみたいと思っていたのですが、
その場所は、他にもあるようですが 「人が幸せになれる場所」 とされています。
多分行ったことがある方はご存じの通り、何とも言えないパワーをえられる場所であると思うのではないでしょうか。
2009年頃に、テレビ・ラジオや雑誌でかなり有名なスポットになってようですが、
私は痛みを何とかしなければと、 ネットの情報から「人々の心身の活性化をし、力を与え元気にしてくれると考えられています。」といった部分をみて
もしかしたら、少し楽になるかもしれないと思ったのです。
車で長野県の 伊那市にあるその場所「分杭峠」に2度ほど伺いました。
別名「ゼロ地場(じば)」といわれていますが、
日本最大、最長の巨大断層地帯といわれている中央構造線の真上にあり、2つの地層がぶつかり合っているために、 未知のエネルギーが凝縮して集まっているとされています。
それを信じて行ってみました。
車内では、車の揺れで痛みはあるものの、不思議と気分が悪くなることもなく
その場所へとたどり着きました。
駐車場から上は、シャトルバスがでているので、それにのりかえます。
思ったより、人が多くバス発車時刻まで待っていました。
分杭峠の下にある駐車場まで、到着した後、最終便のシャトルバスに乗り換えて、山道を1時間ほどのぼっていきました。
山はとても静かで心地よくて、
あれほど痛みのあったところが、だいぶ楽になったと感じるほどに変化がありました。
そして、呼吸さえもできなかったのに深呼吸ができたのです。
バスに揺られて、分杭峠に到着するとそこから「気の強い場所」まで
ととのえられた道をしばらく進むと、斜面にたくさんの木のイスが置かれているのが見えました。
皆さん、思い思いにイスに座ったり、写真をとったりなどして過ごしていました。
引用元
歩くこともかなり大変だった身体が、
スムーズになり、スッキリした感覚が不思議と出てきました。
他の方は、もう一つの「気の強い場所」とされている沢の周辺の「水場」に行かれていました。
沢の水はくむことはできるようですが、飲めないとのことで販売がされていました。
私は、そこからさらに沢の方まで行くのは少し難しかったので、そちらには「また今度行こうかな?」と思い
その日は自宅に帰りました。
「あと何回か雪が降るまでに、来れるだろうか?」そう思いをはせました。
ただ、やはり帰宅してしばらくするとまた痛みが出てきます。
再び、その場所に行くことにしましたが、何度も行くのには、やはり体力がいるようです。
仕事をやめてしまった私にとって、2度行くので限界だったようです。
ちなみに以下はその場所の写真です。
このホームページでも背景に使用してます。
皆さんにもパワーを、そして幸せがえられますように
そこにある風景にしばらく、みとれて30分ほどがたちました。
第7章 身体におきていったこと
ちょうど痛みがはじまった頃から、食べ物の味を感じなくなってきていました。
「なんだかおかしい?」と感じたのは、いつも夕食後にカフェオレにバナナやヨーグルトを食べたりするのですが、まずにおいがわからなくなってきました。
そして、味もわからないんだなと感じました。
あれだけ、好んで食べていたのにおいしいと感じなくなってました。
と同時に、食事の味つけができなくなっていました。
味見をしますが、濃いのか?薄いのか?どうもわからなくなっていました。
そして、それまで毎日出ていた、お通じが…お腹に力を入れると、激痛が走ることもあってかでなくなっていきました。
また、トイレットペーパーでお尻をふく際に身体が動くことで激痛がおきるので、以前の様にはふけなくなっていました。
それでも、ふかないとならないので激痛を回避しながらふく方法を模索(もさく)しましたが、
ときどきうまくいかず、悲鳴をあげてしまいました。
また呼吸がうまくできないので、以前よりか細い声になったと感じました。
特に歌ったり、大きな声は出せなくなりました。
そう言えば、月に来るはずの月経も貧血があった大学時代もあったけど、数か月ありませんでした。
とうとう、食事を作る以外は寝たきりになってしまいました。
ただ、家族には心配をかけたくなかったので必死で食事をつくり、その後は布団に痛みをおさえながら、たおれこむ日が続きました。
第8章 気分転換の外出をしてみたら
朝起きて調子がよかった
いつもより目覚めが早かったのに、起き上がるより先に両手・足とかゆみがとまりませんでした。
かゆみから1時間が経過し、トイレに行きたくなったので激痛が起きないように何とか工夫をして立ち上がりました。
激痛がおきたはじめの頃に比べれば、痛みがおきそうな角度や姿勢をとらにように色々ためしてきていたので、
ときどきは痛みを発生させることなく、たちあがることができるようになってきていました。
がそれからが大変です。
トイレにいってから激痛におそわれながらもズボンを下げて・・・激痛は続きます。
トイレを終えて私は、朝に食べるためのおにぎりを昨晩作り忘れていたことに気がつきました。
このまま、「また横になるのもなんだな・・・
かゆみもおさまったようだし、今日はなんだか、いつもより調子がいいかも?」
「気分転換に外出しようか?」と
フラフラはしていたけど、時間をかけてジャージに着がえました。
自転車にゆられて、モーニングへ
着がえが終わって、自宅から自転車にて、なれた道筋をファミレスへ向かってこいで行きました。
いつもなら、道路の段差を自転車がのりこえた際にゆれで痛みがでるのですが、今日はでていないことに気づきました。
仕事に行けなくなってから、ほぼ寝たきり状態だった私にとっては、ひさしぶりの外出になりました。
問題はこの先の急な坂、 息苦しさを感じたので途中から自転車を降り、何度か止まって休んでは、また歩き始めることを繰り返しました。
途中で喘息(ぜんそく)のような苦しさがあった後から、また道路の段差がひびいて痛みが出てきた気がしました。
「無事たどり着けるかな?」「やっぱり無理だったかな?」と不安になりましたが、
坂をのぼりきると何とかまた自転車をこぐことができました。
ファミレスに到着後、つぎに待っていたのは店内まで続くけっこうな階段でした。
そこも何とか、「きつい」と感じ息切れがありましたがのぼることができました。
いつもよく座る席は先客(せんきゃく)がいたので、その隣のテーブルへ座りました。
少し息切れが治まるのに時間がかかっていたのと、体がなんとなくフワフワしてる?そんな感じがしました。
注文をし、しばらくかかってドリンクバーで飲み物を持って来て、その飲み物を少し口に含んだのですが、
何故か冷や汗らしき?ものを感じました。
以前から、よくあった 食事を食べていないことによる貧血(ひんけつ)ものがおきてるのかな?と、 食べれば治るだろうと思って食事を終えました。
久しく朝から、トイレでお通じしたことがなかったのですが、今日にかぎって出そうな気がしてトイレに行きました。
「お客さんも少ないので、多少時間がかかっても大丈夫そうかな?」と思いましたが、 そのときは激痛もなくスムーズにできました。
何か、さっきよりも体がフラフラしてきました。
座席に着いて一呼吸した後、「何かおかしい⁉」
冷や汗がどっとではじめて、体が浮くような感覚におそわれました。
「とりあえず、冷や汗をふかなきゃ」一口飲み物を飲んで、その状態を落ち着かせようとしましたが、
「早めにきりあげて、自宅に帰って横になろう」とそう思ったのですが
その後の記憶はありません。
ただ、何となく体がこきざみにふるえていて、けいれんらしき状態になっているように感じたのは覚えています。
なにが起きたんだろう?
意識が戻ったのは、誰かが私に「 大丈夫ですか?」と声をかけていたのに気がついたからです。
ものの数分だったようですが、 遠のいていた意識がもどりはじめ視界が戻ったとき
全身の力が入らずに目前のコップが散乱して、中の飲み物も全て倒れた状態で机と新聞をぬらしてしまっている光景を目にしました。
自分がたおれてしまったことに気づくことより先に
あわてて「何てことを・・・ふかなきゃ」多分そう思ったのだと思います。
条件反射的に机を拭き始めたのですが、体が思うようになりません。
店員さんらしき人から「 どうしたの?大丈夫…」「でも おかしいね」「 救急車呼びますか?」と言われ
うなずきながら「 はい お願いします。」と答えた私がいました。
救急車が到着するあいだ、
店員さんに促されてトイレ付近にあるスタッフルームへの移動をすすめられました。
「立てるかな?」そう思いましたが、
身体はフワフワしても立ち上がって、あるくことできました。
しばらくして、救急車が到着し救急隊員から、
店員さんにいくつか質問があったあと、私にもいくつかの質問と搬送先が伝えられました。
店員さんの話には、やはり 2~3分けいれんを起こしていたことが伝らえたので救急隊員は、
私に「てんかんの発作の持病はあるか?」
「今朝から具合はどうだったか?」
「意識がなくなった時の状況や経緯(けいい)等」の質問をされました。
「今までてんかんの発作はおこしたことはない」と伝えましたが、病状は深刻と考えたようでした。
ただ、その心配をよそに質問を終えた後、私は救急車まで担架には乗らずに自力で歩いて乗りました。
救急車内のストレッチャーに横になったところ、 右わき腹に激痛が走りました。
倒れこむ様に横になってからあおむけになりましたが、息苦しくて呼吸がととのうまで時間がかかりました。
呼吸が落ち着いて、再度救急隊員からの質問があり、氏名や住所を伝えました。
搬送された病院は、走行して5分もかからない病院で、到着後 ストレッチャーから救急室のストレッチャーへうつりました。
今まで、介護の現場ではしたことのあるタオル移動で「せーの」でストレチャーにうつされました。
こんな感じなんだ・・・そう思いました。
ここでも、持ち上がって降ろされた際に、痛みが発生して思わず声が出そうになりました。
倒れた際に、 けいれんを起こしていたこともあって一通りの検査をすることになりました。
第9章 それでも自宅に帰れると思っていた
搬送先にて
多分意識の中では、不思議になぜか「そんなにたいしたことない」と根拠のない自信をもっていました。
やがて、 レントゲン、CT、MRI、血液検査等々検査を行って結果をまっていると、その日の担当医がこられて説明がはじまりました。
血液検査の結果、ヘモグロビン値が「3.6」であること、
通常の人の4分の1の状態で「生きる」といことにおいては危険な状態にあること
この病院には血液内科の専門医がいないため、転院して精密検査をうけること
の説明がありました。
私の頭の中で、なにがなんだか?なにを言われているのか?理解ができませんでした。
「血液検査で異常あり?ん? 血液?何?」
転院先が決まるまでしばらく時間があったので、担当医師から家族に連絡をとるように言われました。
頭の整理もつかないままに、家族に連絡をとりはじめました。
担当医の言ったことが、頭で理解できていなかったので家族には担当医の言葉をそのまま伝えていました。
家族と話をしたからなのか、時間がたつとおかれた状況が少しづつわかってきました。
それと同時に、この数か月原因のわからない激痛の正体もわかるのだと感じてホッとしている自分がいました。
ただ、検査と結果がでるまでかなり時間がかかったので、トイレに行きたくなっていました。
ナースから「トイレにいってはダメ」と言われ、さしこみ便器が登場し、「これにどうぞ」と言われました。
これも介護現場ではよく見た光景、まさか自分が使うとは思ってもみませんでした。
「でも私には時間がない、仕方ないやるしかない」と意を決して、それにしようとしましたがうまいことできるかヒヤヒヤしました。
きっと何気に私も現場でご利用者にすすめていましたが、使用する人にとってこれってほんと不安なものなんだと心底思いました。
専門医のまつ病院へ
その日のうちに、搬送先の病院から、また救急車に乗って専門医のいる病院に移動しました。
ずっと横になっているからか痛みは感じませんでしたが、やはり車がゆれると同時に痛みを感じていました。
「早くついてほしい」そう願いながら、これからどうなるのかの不安も感じていました。
救急車で20分ほどたって、無事転院が完了しました。
例のごとく、病院内をストレッチャーで移動し、さらにくわしい検査が開始されました。
血液、心電図、エコー検査等(24時間心電図装着)。
心電図検査のときに、まずベッドにうつることと横になることで身体が思う様に動けない状態で、倒れこんでしまいました。
何とか仰向けになったものの、次に検査員から「左側脇腹を下に」との指示がありましたが努力はするものの、もがくだけであおむけになれませんでした。
結局、そのままの姿勢で痛い箇所に測定器具が装着されました。
今度はエコーの検査が行われ、検査員がぬるっとしたジェルをつけて器具をおなかにあて動かしはじめたところで痛みが発生しました。
その後、何度も痛みの部分が、押されたり、ふれたりの繰り返しでかなりしんどい状態でした。
検査がおわっても、 しばらくはストレッチャー上で横になっていました。
ストレッチャーには、 手すりやリクライニングがついていないのでずっと同じ姿勢でいなければならず大変でした。
「ずっと同じ姿勢で長い時間いるのは、大変だな」と
少し身動きできれば身体が楽になるのだけど?と思っていました。
しばらくすると、またあの感覚がわいてきました。
「トイレだ」
こんな時に・・・やっぱりトイレは行かせてはもらえませんでした。
そしてさしこみ便器が登場し、おしりの下にあててもらったのですが中々出ませんでした。
たぶん、 汚してしまうかも?という感覚と羞恥心(しゅうちしん)も関係してるのかな?と感じていました。
かなり時間がかかって、やっと出すことができました。
第10章 これからに思いをはせて
この後検査結果がでるのですが、転院が決まったことと
家族に連絡をいれたことで、もう自宅には帰れないんだなと理解ができたようでした。
頭の中は、「これらどうなるんだろう?」「家族の夕飯どうしよう?」と不安なのと、家族のことをかんがえ、混乱している状態にありました。
ここまで、私が救急車に運ばれるまでをお話してきました。
もし、あなたの身にもこんなことがおきたらどうでしょうか?
私はここまでがんばる必要があったのでしょうか?
たぶん、その状況になったのは私がいつもと変わらない生活を送りたいと
どこかでのぞんでいたのだと思います。
また、激痛によってちゃんとした判断ができていなかったこと
そして、家族とふだんと変わらない生活を送りたいのと
その時間を大事に考えていたから病気がすすんでいても受け入れなかったのだと思います。
それと、突然の病気という恐怖がおきたことで、その生活ができなくなることに大きな不安も感じた結果、病気の事実に向き合わなかったのだなと思います。
その状況をふまえて、みなさまには病気になった人の気持ちを知ることは難しいことですが、ひとこと「大丈夫だよ」と
そうやさしく、話して安心させてくれる存在になっていただけたら幸いです。
少しでも、病気になった方への気持ちに手助けができる世の中であることを願っています。
つぎの章からは、病気の正体をお伝えしていきます。
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