第30章 一時退院(いちじたいいん)?いいの?
ずっと続いてきた痛み、
どこまでも続くと思っていた痛み、
そう、この病の要(かなめ)でもあったみぞおちと、ワキバラの痛みが軽減してきました。
そして、主治医から、そろそろ痛み止め(トラムセット配合薬)を一旦終了するとの話がありました。
11月8日までは、プレドニゾロン (ステロイド剤)については11月11日より減らしていくことになるとの話がありました。
今の私にとっては、薬が減るのは、とてもうれしいことでもあり、特に強い薬は早く終わってほしいとそう思っていました。
何となく頭がさえてしまっているこの感覚(かんかく)も、プレドニゾロンがなくなればちょっとはなくなるだろうし…
11月2日の心電図(しんでんず)の結果で、今まではとくに変化のなかった心臓に異常がでました。
心臓が動いたときに脈(みゃく)をうちますが、異常があるとのことでモニターをつけなければばらなくなりました。
経過観察(けいかかんさつ)が行われましたが、その後の6日の検査でも再度異常の結果がでました。
主治医から、11月9日に再度検査をして異常がなければ11日退院との発言がありました。
私は一瞬(いっしゅん)聞き間違えたのかと思いました、
た、退院?
私にとっては、意表(いひょう)をつく言葉を聞いた感じでした。
でも、その後やはりすぐ撤回(てっかい)されました。
そして、 髄注(ずいちゅう)検査を予定すると話がありました。
え?こないだやったのとまた別のものなの?
また痛いのかな・・・ヤだな
何がちがうのか?
どちらも腰からハリをさすものであるが、とる場所が微妙(びみょう)にちがうらしいのとのことでした。
こないだ行った骨髄穿刺(こつずいせんし)検査は、血液を作る骨の中の髄液(ずいえき)を採取するものでした。
そして今度の髄注検査は、中枢神経に白血病細胞がはいりこんでいないかを調べるためにやるもので、
腰痛穿刺(ようついせんし)ともいわれていて、これは脳からお尻までつながっている神経の袋の中の液を採取するものということでした。
ただこの検査は、心臓のことが解決(かいけつ)してからのようでした。
主治医から、11月9日の心電図の検査を確認して、やはり来週に一時退院になるのでは?
と言われ、撤回したのではなかったのか?と・・・
一度撤回していた状態だったので、かなりのおどろきと
いっきに現実の生活に引きもどされるのだと、
退院予定については、よろこばしい反面(はんめん)で、帰宅して大丈夫なのか?と不安になりました。
第31章 なにもおきませんように
目はチカチカ、心臓(しんぞう)バクバク
たぶん、はじまったのはいじめられるようになった、こどものころからだったと記憶しています。
このビミョウな感覚、あ~きた、きた、きた!という感覚になります。
久しぶりのこの感覚です。
右目のこめかみ奥深くから、チカチカとまばゆい光がわいてきます。
なんども体験してきてはいますが、落ち着くまで約1時間はかかります。
チカチカしはじめてじょじょに視界が少しづつ見えなくなっていき、
光を感じてから20~30分は消失しない状況が続きやがては、右目の視界(しかい)が無くなってしまいます。
そしてまた、時間がたつとじょじょに視界が晴れてもどってきます。
こどものころは、それがおきるとしばらくは頭痛がして動けなくなっていました。
みなさんの中にもいらっしゃいますか?
ご存じの方は聞かれてこれじゃないか?と思われたかもしれません。
また、あらわれかたは人それぞれかもしれませんが、そういった症状に同じように悩まされている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そう、片頭痛(へんずつう)です。
しばらくなかったのですが、久しぶりにやってきました。
夕食中に起きて、いつのなら1時間ほどでおわってくれるものなのに
今回は、次の日の朝食後まで続いたのです。
それと同時におきていたのが、前日11月2日には血圧が低めで心電図に不整脈(ふせいみゃく)が、
出現していたことで頭がおもだるい?気がしていたことも原因だったかもしれません。
11月7日の夕食中、またチカチカとはじまりました。
前回より、チカチカが強い気がして、20分ほどになったところで今までにない強さを感じました。
通常であれば、視界が全部なくなってしまうことはないのですが
視界はほとんどおおいつくすほどになっていました。
このときも、やはり1時間ほどはその状態でした。
ちょっと、すごいなと正直思いました。
心臓が眼前で脈うってるような感覚でした。
おさまった感じがしません、
はぁ~また起きそう?
大丈夫そう?
こんな感じの時間がすぎていきました。
この原因は、薬の副作用なのか?
それとも、輸血の結果なのか?
いろいろ考えますが、結果的にはあまり考えても仕方ないとの結論(けつろん)なったので、普通にすごそうと思いなおし
悪くなっているということに、気持ちがのみこまれないようにと、
そうしなければ、まともではいられないと思いました。
まだ続いてる?
落ち着いたはず?
自分に確認してみますが、まだちょっとくすぶっている気がしました。
眼前で、まだ心臓が脈うつ感覚がときおり起きていました。
そのとき、一番いい解決法を思いつきました。
寝てしまおうです、
この解決策(かいけつさく)はなかなか、どんな特効薬(とっこうやく)よりもききそうです。
特効薬の登場
ベッドに横になると、なぜかからだや頭をゆすられている感覚がしました。
しばらくその状態が続き、やがてうたた寝になっていきました。
夢?それとも、あれ?特効薬きかない?
浅い眠りでいたのだと思いますが、からだもゆさぶられている感覚がずっと続いていました。
そんな中、私の手首あたりをつかむものの感覚と声かけありました。
夜中に手首をつかまれる、突然のことでかなりびっくりするものですが
どうやらナースが脈の確認にきたようでした。
結果は、不整脈と徐脈があるとのことでした。
以下に不整脈の内容を書きます。
不整脈:心臓の脈拍(みゃくはく)が正常とはことなるタイミングで起きるようになった状態のことです。
不整脈には、脈がはやくなる「頻脈(ひんみゃく)」、脈がおそくなる「徐脈(じょみゃく)」があります。
不整脈の緊急度(きんきゅうど)や治療方法はさまざまです。
健康な人にも、生じることのある不整脈では健康被害(けんこうひがい)はなく、放置しても問題はありません。
ただし、命にかかわる不整脈も存在し、この場合は積極的(せっきょくてき)な治療介入が必要とされることがあります。
私はこのとき、ひたすら片頭痛がおきてほしくないことだけを考えていました。
でも、知らないって怖いなと、そう思います。
片頭痛よりも、不整脈の方が命の危険性があるというのに私が続いてほしくないと思っていたのは、片頭痛の方でしたから。
不整脈は、悪くなっていけば心房細動(しんぼうさいどう)をおこして、やがて死にいたる場合もある症状であること
このとき、私が聞かなかったこともあるのですが誰もおしえてはくれませんでした。
なぜ、そういえば、あのとき誰にもきくことがあまりなかったのはなぜだろう?と今となっては不思議に思います。
たぶん、あのときの私にとってはたいしたことではないと思っていたのだと
それより、寝かせてほしいと考えていたのだと思います。
なぜかといえば、夜は患者にとっては暗くて長くてひたすら考える時間になってしまうからです。
そんなのイヤでした。
昼間にからだを動かさないで、ウトウトしようものならかなりの確率(かくりつ)で夜は目がランランになるからです。
入院中や高齢(こうれい)の方にはよくみられることかと思いがちですが、若くても同じですね。
とにかく、入院中の夜間は寝るんだと私の中ではきめていました。
第32章 退院?それとも
ねむりひめの私がおきるようになった
今までの生活の中で、夜ねむっている間にトイレにいくことがあったか?と聞かれたとき、それまでの私ならなかったと答えるほど
一度ねむりについたら、朝まではおきたことはなかったのですが、
入院してからは、夜中にトイレによくおきるようになっていました。
たぶん、薬の副作用もあるのかもしれませんが一番は、心臓の状態がよくないからだと思います。
ただ、それまでおきていた片頭痛や不整脈などの変化は昨夜の状態からは、落ち着いたように感じましました。
主治医から、またもコールがありました。
今日、心電図検査をして不整脈がなければ、11月11日に一時退院になるとのことでした。
えっ?11日?またまた撤回になるんではないか?と思っていました。
ただ、状態が落ち着いてきていることや、 11月9日から痛み止め(トラムセット配合薬)がなくなったり輸血の効果もあるのか、
よくなってきたのかもしれません。
ただ、私にはうずく感覚と両ワキの圧迫感(あっぱくかん)がまだありました。
でも、以前のような激痛はないし、
寝返りはうてるようになったことで、腰のこわばりやからだに重だるさはあるけれど、トイレには一人で歩いて行けるようになっていました。
あと、トイレでよく感じていた腰がぬける、引っ張られるような感覚は減った気がしました。
ホントの話?
倒れて以来(いらい)、もう私は家には帰れないものだと思っていました。
しかも、白血病と聞いたらドナーが見つかるまでは、入院生活がずっと続くと思っていました。
なのに、自宅に帰らされるのって大丈夫なのか?
たしかに激痛はなくなってはいるけど、私が帰宅して以前のようにできるのか?
食事づくり?無理かもな・・・どうしよう、これは困ったなと思いました。
見た目はそれほど変化はありませんが、病気になったことでたくさんショックもあきらめもあったことで、何に対しても不安になってしまっていることと
やったーっ!家に帰れるではなく、
これで帰ってどうするのか?
あんなに帰りたかった家に帰るって・・・そんな風にしか思えなくなっていました。
第33章 さてどうしようか?
一時退院の話があがってから、考えたのは以下のことでした。
まず、生活は2階が中心でいたこと
そして食事をつくること
とりあえず、考えられる難関(なんかん)でした。
それというのも、現状長く立ち続けて作業するといったことが中々困難(こんなん)な気がしました。
倒れる前、激痛で、
そして入院でも筋力がだいぶ落ちてしまっていたのと激痛で動けずに寝たきりになっていたころのイメージが
かなり強かったので、また帰ったらその状態になるのでは?といった不安もありました。
もう一つ、姑と関係も気になっていました。
はぁ~と大きくため息。
ただ考えても解決はしません。
帰るためには、やっぱりリハビリをしなければならないということだなと思いました。
今この現状で行えるリハビリといえば、階段をのぼりおりすることや廊下の手すりをつかってスクワットするといったことぐらいでした。
確実(かくじつ)に安全にリハビリをおこなうとしたら・・・「病棟の階段」が思いつきました。
その病棟の階段は、1階から8階まで続いています。
なぜ安全か?と思われませんでしたか?
その階段を利用する多くは、医師やナースなど病院職員が行きかう場所だったからです。
倒れたり、転んだり、落ちたりしても対応してくれると考えたからです。
だいぶ迷惑な話ですけど、今はリハビリをしてくれるような状況に私はないそうで仕方ありません。
そのリハビリを最初にはじめたのは、一人でトイレにいけると許可がでて
その後に、1階にあるコンビニにいけるようになってからでした。
はじめた頃は、途中で足がつってしまって5階までいくこともできずにいましたがだんだんなれてきました。
マラソン選手が気をつけていることで、興味深い(きょうみぶかい)ことをいっていたのを聞いたことがあります。
マラソン中に、坂をのぼることよりも坂をくだることの方が膝(ひざ)への負担(ふたん)がかかると、
そう言われていたのがよくわかるなと思います。
階段をくだる際に、足をつくと膝(ひざ)に力が入らずに、からだを支えるのに苦労しバランスをくずすと倒れそうになってました。
4階からのぼりはじめておどり場でしばらく休んで、また4階のおどり場に戻ってをくりかえします。
もちろん、階段の手すりはがっちりつかんでのぼります。
朝食前、昼食前、昼食後、夕食前と。
以前にスケージュールでしめしたときよりも、ふやしました。
ただ、朝食後はからだが目覚めていないことなのか、
息もすぐにあがってしまってかなりきついと感じてました。
この息の上がり具合は、貧血であることが影響(えいきょう)しているのだと感じます。
たぶん私の血液では、体中に十分な酸素(さんそ)を行きわたらせることができないのでしょう。
階段のリハビリは必死(ひっし)でした。
自分のペースで、それこそ無理せずに行う方がいいにきまっていますが、私はとてもあせってました。
倒れる以前のように、戻りたかったのかもしれません。
ただ、安心がほしかっただけかもしれません。
リハビリは、検査などがない限りはほとんど続けていました。
たぶん1日の大半(たいはん)を階段ですごしていたのかも?と思えるほどでした。
第34章 安らげる場所に
この過酷(かこく)とも思えるリハビリ、こんなにやる必要がリハビリをしましょうと言われていたわけではありませんでしたが、やる意味があるのか?
そう思うのですが、必死(ひっし)でやっていたのは
きっとやりとげることで自分が生きている感を味わいたかったのと、あのころ健康であったころに戻りたいとそう願っていた
というのが本音(ほんね)なのかもしれません。
あれだけ、ガンバってやってましたがこれもまたプレドニゾロンのシウチ(副作用)で筋力がついてはくれません。
なので階段リハビリは苦労しました、とくに朝食後のリハビリは毎日変わらずきつかったです。
でも、あきらめずに毎日、朝食前、昼前、午後、夕方の4回必ずおこなうようにこころがけました。
そう夜ねむるためにも。
そして、自宅に帰って困らない迷惑(めいわく)かけないためにも。
さて、じょじょに自宅に帰ることの実感(じっかん)がわいてきます。
みなさんは、同じ境遇(きょうぐう)になったと想像(そうぞう)していただいたときどちら側の立場(たちば)を考えましたか?
病気になった自身でしたか?
それとも受け入れる家族の方でしたか?
この状態で、一時帰宅はうれしいと思う反面(はんめん)で不安も持たれたのではないでしょうか?
その不安は、病人である本人が一番わかっていることではありますがやっぱり家はいいなとそう思うのではないでしょうか?
本人ががんばったほど、何もできないかもしれません。
ただ、必死でいきようとしていることには変わりがありません。
今の現状で、安らげる場所はたぶんどこにもないのだと思います 。
どうぞ、見守っていただければ幸いです。
そして、病を忘れるくらい時間をかけてたくさん話をしてください。
そうしてもらえれば、つぎへの後押しにもなりパワーもえられるものと思います。
病でたたかっている方々が安心して休める、
安らげる、
そんな場所をつくっていただきたいと、そう思います。
いつもと変わらぬ場所でまっていてあげてください。
そうであることを願ってます。
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